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名 称:勝呂廃寺跡(すぐろはいじあと)
形 態:寺院跡
時 期:7世紀後半
脂 定:県選定重要遺跡(昭和51年(1976)10月1日選定)
所在地:埼玉県坂戸市石井354ほか
勝呂廃寺は数次にわたる発掘調査のにより、7世紀後半に建立された埼玉県最古の寺院のひとつと考えられています。
寺域を廻る大溝が発見され、南北120m、東西70mの広大な寺域であったと推定されています。また基壇状の遺構や
大型掘立柱建築跡などが発見され、塔の相輪の一部や多量の瓦が出土しています。本格的な伽藍配置を伴った寺院の
可能性が高く、入間郡の有力豪族であった入間宿襺(物部直氏)一族によって建立されたと考えられています。
(埼玉県立嵐山史跡の博物館発行 改訂歩いて廻る「比企の中世・再発見」より引用)
鳩山町の赤沼古代瓦窯で焼かれた瓦は、ここ勝呂廃寺にも供給されていて、発掘調査でも出土しているようです。
そんな勝呂廃寺跡を訪ねてみました。
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ここ勝呂公民館分館(旧勝呂公民館)周辺が勝呂廃寺跡のようです。
この勝呂公民館分館の一角に建物の柱が建っていた部分にコンクリート柱を埋めて建物の一部が示されています。
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公民館分館庁舎前にその一部が残されていて、説明板も建てられています。
時期的に芝生が青々していましたので、他の場所(敷地)との区別が容易です。
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角度を変えて
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更に反対側から
説明板がなければ芝生の中のひとり掛けのベンチくらいにしか思わない方もいるでしょうね(笑)
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説明板をアップで 読めるかどうか?
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敷地隅にある石碑ふたつ
右側の石碑には「旅ならぬ 袖もやつれて 武蔵野や すぐろの薄 霜に朽ちにき」と
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左側の石碑の碑文
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石碑の横に置かれたこの大きな石は何でしょう? 説明するものがないのでわかりませんが。
勝呂廃寺の建物の礎石と言われるものはすぐ近くの勝呂小学校の校庭にあるようですが、そこまでは見てきませんでした。
散策日:平成29年(2017)10月18日(水)