四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

田中氏館(群馬県太田市)

2018年11月14日 | 100名城以外の城館跡


城 名:田中氏館(たなかしやかた)
別 名:ー
形 態:館
時 期:鎌倉時代
築城主:田中義清
城 主:田中氏
遺 構:土塁
指 定:ー
現 状:長慶寺
所在地:群馬県太田市新田上田中町(旧新田郡新田町)長慶寺

新田義重の流れをくむ里見系田中五郎義清の館跡である田中山長慶寺を訪ねてみました。




長慶寺は県道315号沿いの綿打中学校向かいにあり、「千利休先祖菩提の寺」「長慶天皇ゆかりの寺」の大きな看板がふた
つも建っています。千利休だの長慶天皇(どんな天皇なのか私は知りませんが)だのと出てきますので大きな立派なお寺なの
だろうと想像したのですが。




寺号標  フェンス沿い道の奥に長慶寺はあります




いわゆる山門の類はありません  石の門柱が両側にあり、宗派名と山号寺号のプレートが貼られています




本堂に架かる扁額には、山号・寺号ではなく「御本尊 不動明王」とあります




本堂前に建てられている「茶聖千利久居士之祖 田中五郎義清之館跡也」と刻まれた石碑
利休の本名は田中与四郎というようですが、それをもって田中五郎義清の末裔であるという具体的なものはないようです。




「田中山長慶寺由来記」  よく読めますので転記の必要はないようです
古えは大寺であったと・・・




境内東側にある墓群




1 屋根付き供養塔の右の宝篋印塔は 第98代長慶天皇の陵墓 と云われている          ①のもの
   全国にその陵墓とされる場所が点在するようで、ここもそのひとつのようです  ※南朝第3代
1 屋根付き供養塔の左の宝篋印塔は 茶聖千利久居士の祖 田中五郎義清の墓 と云われている   ②のもの
あくまでも「云われている」で、具体的な確証はないようです




本堂裏の土塁  ここまで風化していると土塁跡と言った方がよいかもしれませんが

散策日:平成30年(2018)10月2日(火)

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