AKB48の旅

AKB48の旅

無題

2014年04月25日 | AKB
http://yoshinori-kobayashi.com/4590/

小林よしのり先生のブログ記事、「恋愛禁止条例」から「恋愛スルー条例」へ、だけど、いちおうずっと目は通してた。ざっと読んで、けれども正直「そっ閉じ」だった。エントリの一つや二つくらいだったら、それで良かったんだろうと思うけど、とうとう(その10)とエントリ数が二桁になっちゃって、なんかもう勝手に追い詰められたかのような茹でガエル感。一言だけでも触れておかないわけにはいかないような、そんな変な気分になってしまった。

と言っても、あんまり正面から行くというのでもない。それなりにガチンコな主張というか、私の個人的な考え方は、過去ログであらかた書いてきたと思うんで、小林先生の書かれてることが腑に落ちない、もしくは響かない方は、まったく別の視点、おこがましくもセカンドオピニオンとして、過去ログが何かの足しになればと思う。

ここで取り敢えず触れておくこととしては、何で小林先生は、こんな変な、強調のためもう一度書くけど「変な」エントリをしつこく繰り返してるんだろうあたり。もちろん、この「恋愛禁止条例」関連の主張がど真ん中なファンがいるだろうことは、心得てるつもり。けれども、どうして小林先生がそっちなのか。

かつて「戦争論」を読んで、多少誇張が入ることをお許し願いたいんだけど、衝撃を受けた身として、これは批判ではないと前置きした上で、それでも書いてしまうんだけど、この「恋愛禁止条例」から「恋愛スルー条例」へ、という一連のエントリは、小林先生自ら言われるような「評論」になってるとは、とても思えない。

http://yoshinori-kobayashi.com/4570/

以下引用

恋愛をしたことのある者はわかるかもしれないが、
人は恋すると常識を失い、狂った状態になる。

後で考えると、みっともない恥ずかしい行為を、
恋愛中は夢中でやっているものだ。

酔っぱらいみたいなものである。

だから浮気しても彼女や妻にすぐばれてしまう。

狂ってるから当人には自覚がないが、
彼女や妻から見れば、様子が明らかに違うのだ。

以上引用

これって、そのまま小林先生に当てはまってしまってるんじゃないだろうか。

ペナントレース順位決定方式

2014年04月24日 | AKB
https://www.youtube.com/watch?v=bWi1luLdwZI#t=604

「ペナントレース順位決定方式解説映像」なんだけど、見終わった後の後悔と脱力感、時間を無駄にした感が半端ない。突っ込みどころ満載というか、突っ込む気にもならないというか、うーんどこから切り出せば良いのやら。

まずは「統計学者」鳥越規央氏が胡散臭過ぎ。じゃんけん大会でのいんちきぶりについては既述だけど、今回の「解説」も同様のまやかしに見える。計算式は提示されてるけど、そういう計算式に到った背景が分からない。じゃんけん大会の件を参考にするなら、まずは望ましい結果、あるいはかくあるべきな結果が想定されていて、そこに落とし込むための係数が算出されて、その係数に合わせたデータ設定になってるという、例によっての実態は逆算になってるんじゃないか。

こういうのって、やはり公正性、透明性が何より重要になると思う。まずは公開された一次データがあって、その一次データから誰でも容易に算出できる指標があって、そんな指標が複数あっても良いと思うけど、その総合成績でもって争うというのが、最も妥当なところじゃないか。実際のところ、一部のファンは、同様のことを既にしてやってたりするしね。

メンバー個人とチームの関係性にしても、恣意的に過ぎるように思う。「解説」のなかでもメンバー個人の係数についてさりげなく触れてたけど、やはり根拠薄弱に見えたし、選抜総選挙の結果をドント式で勝ち点に算出するというのも、もっともらしく見えて、実は個人とチームの関係性に関わるウエイトの置き方の説明が欠落してる。

そこやはり先達に学ぶ的な姿勢があっても良かったんじゃないかと思う。「ペナントレース」なんて言葉を使ってることだし、メジャーリーグの成績評価法を参考にするという考えはなかったんだろうか。もちろんAKBGのチームは直接対戦して、明瞭な勝ち負けがつくわけではないので、そのまま引き写しにはできないけど、その合理性とかは大いに参考にして良いようにも思う。

一例、個人の成績判定だと、打者ならOPS、投手ならWHIPという指標がある。OPSは出塁率と長打率を足し合わせるという、正に公開された一次データを、単純な計算で導いたものになっており、しかも長年の検証によって、精度管理がなされてる。もちろんこれをそのままAKBに当てはめるのは無理だけど、例えば劇場公演という枠組みで考えてみた場合、出塁率を出演率に、長打率をユニットセンター率に換算するなんてのはどうだろう。

もちろんそうなると、選抜総選挙をしのぐまでの、運営サイド的な序列がついてしまうことになるかも知れないし、それ以前に、運営サイドの査定が公開されてしまうことになるのかも知れないけど、そこまで公開してしまって、そのウェイトのかけ方まで批判に晒してしまうというやり方もありなんじゃないか。

読み返してみても、批判しか書いてないなあ。ちょっと反省かも。

「クロユリ団地」

2014年04月23日 | AKB
見終わってから、しばらく放心状態。凄い映画を見たという思いと同時に、少し(かなり?)残念な気持ちが綯い交ぜになる。それでもいちおう、面白いか面白くないかと聞かれれば、面白いと答えることになる。少なくとも「苦役列車」よりは何倍も面白い。けれども・・・なんだよなあ。

まず書かずにはいられない。前田さんの鬼気迫る演技。これは絶賛して良いんじゃないか。本作は日本の実写映画にしては珍しく、説明台詞がほぼないんだけど、それは前田さん演ずる二宮明日香の表情を見てるだけで、状況が分かってしまうからだろう。逆に言うなら、説明台詞というのは、役者の実力不足and/or監督の力量不足の現れなのかも知れない。

ストーリーも、そんな前田さんの圧倒的な説得力によって、心に深い傷を負った二宮明日香の、リアルメンヘラな心象風景の描写として進んでいくように見える。というかそれ以外に見ようがない。ちなみにこれは、たぶん予備知識がなくても、映画の冒頭から自然に理解されることになる。そんな明日香の心の傷を殊更に抉るような展開がしばし続き、見る者の心を揺さぶることになる。けれども、次第に鼻についてくることになるベタな演出と安易なストーリーが、やがて興ざめへと誘ってしまうことになる。

そうなんだよなあ。この演出問題。最初からもう少し丁寧で抑えめだったら、今ぱっと思いつく比較例としては、映画「シックス・センス」くらい自然だったら、そして何とも残念な後半の破綻がなかったら、本作品は間違いなく傑作になってたんじゃないかと思う。

この演出の「そうじゃない」感は、映画が進むにつれ、時間を追うごとに次第に増幅して行って、後半に顕著となるチープなオカルト描写、修験道ライクの除霊のシーンとか、成宮寛貴さん演じる笹原忍の焼死とか、せっかくの前田さんのスーパーリアル感を台無しにしてしまってるとしか思えない。作品中でも、台詞としてしっかり「霊は人の心に憑く」と言ってるんだから、あくまでもその世界観を徹底して欲しかった。

と言うか、言い切ってしまって良いのかどうか迷うんだけど、本作は監督、脚本家の想定や技量を上回る前田さんの快演によって、主人公の二宮明日香だけが想定外のリアリティレベルに到達してしまって、結果的に作品としては破綻してしまったんじゃないか。本作の基本設定通りの二宮明日香という人物なら、前田さんの到達した姿の方が圧倒的な説得力を持つ。けれどもストーリーはまったくついて行っていない。敢えて悪し様に言うなら、失笑もののオカルトに逃げてしまったようにしか見えない。

もちろん、レベルを合わせるべきとする考え方もある。良く言われる比喩としては、マクドナルドのハンバーガーは、バンズとハンバーグとチーズを個別に食べてもちっとも美味しくない。けれどもそれらを一緒に食べると、それなりに美味しくなる。主役たる前田さんが、作品のレベルに合わせるべきだったとかなんとか。

要するに少なくとも私の目には、前田さんと監督あるいは脚本家がケンカしてる、そんな風に見えてしまったことになる。役者が優れていることを前提として、役者が走り出したなら、そのモメンタムを邪魔しないのが傑作へと辿り着く秘訣だろうし、当然のこと、製作スタッフにもそれだけの技量が求められることになる。そういう作品に前田さんが巡り会える日が来ることを祈るしかないように思う。

大江戸温泉物語特別対談

2014年04月22日 | AKB
http://www.asahi.com/ad/onsen/

高橋さんと、大江戸温泉物語最高料理顧問、高階孝晴氏の対談。といっても、これがテレビCM出演と連動しての新聞広告であるのは言うまでもないところ。対談の題名の最初には、でかでかと「企画・製作・朝日新聞広告局」の文字が入ってる。

内容的に取り立てて目新しいことはなかったと思うけど、それ以前に、この対談の編集の冴えに感動すら覚えてしまった。さすがにやらせとかではなくて、実際に対談は行われたんだろうと思う。けれども弱冠23才にして巨大アイドルグループを滑る(←誤変換がイケてる感じ?)、じゃなくて統べる高橋総監督に対して、恐らくは還暦前後と思われる、ググるとそれなりの経歴の「最高料理顧問」。普通だったら、会話自体が成り立たない可能性すら考えられるところ。

もちろん、高橋さんのコミュニケーション力の高さは言うまでもないし、これまでも様々な年齢層、様々な分野階層の方々との対話や討論をこなしてきてる。この辺り高階氏については、ネットをチラ見する程度では、さしたる情報もなかったんで、高階氏の対話能力についてはペンディングするしかないけど、それは基本、高橋さんにとっても同様の立場であった可能性が考えられるところ。それでも、仮に高階氏についての予備知識がない状態で、なおかつ高階氏の対話力が一般的な和食料理人のイメージ通りであったとしても、ほとんど何の障害もなく、容易に対談は成立したのかも知れない。

実際に文字おこしされた形の対談の中身は、リーダー論、サービス業の基本、そして双方のエポックという、言わばネタ調整が行われたかに見える内容とも見なせる。これなら対話が何とかなり立った可能性が高いし、対談を通してお二人が互いに探り合いながら、そんな落とし所に自ら辿り着いた可能性ももちろんある。あるけど、これは編集サイドの誘導、もしくは事後の編集による調整が入ったとするのが、妥当な見方ではないだろうか。

実際のところはもちろん不明とするしかないけど、出来上がった広告としての対談内容は、体裁上において素晴らしいものになってると思う。ウェッブの作りを含め、「朝日新聞広告局」の中の人に賛辞を送りたいと思う。

とともに、高橋さんの弁が立つこと、しかもごく普通の語りで口、易しい言葉で、物事の本質を語ることができることが広く知られつつあると思われるんで、従来からのAKB代表コメントを越えて、これからこうした対談、あるいは、より一般的なコメントが求められる、そういうオファーが増えるのかも知れない。

総監督という地位は、これまでは主としてAKBGの内的要因、内的希求によるところが多かったと思われる。けれども今後は、こうした外的要因による要請に応えるべく最適化を求められことになるのかも知れない。それは正に、政治的なスタンスということにもなるんだろう。秋元氏ではないけれど、必然性という名の強運にドライブされて、高橋さんは本当に政治家へと向かうことになるのかも知れない。

生田絵梨花、進学準備のため一時休業

2014年04月21日 | AKB
http://natalie.mu/music/news/114878

http://www.nogizaka46.com/news/2014/04/post-1166.php

「君の名は希望」という楽曲との特別な関係性や、故佐久間正英氏との公私にわたる関係性からも見えるように、生田さんは強運の持ち主であることがわかる。

こう書き出すと、もしかして誤解される方がいるかも知れないので、回りくどい説明というか言い訳を、例によって書いておくけど、事実として生田さんが強運である、そう言いたいのではないし、「強運」というエンティティが存在すると主張したいのでもない。今現在から過去を振り返って見て、既にして出てしまった結果から因果を逆転して、言わば逆算をするようにして現実を理解しようとするから、そこに「強運」という概念が成立できてしまうかのように見えるだけとも言い得る。

もっともこの辺りは、何度も書いてきたように、因果律の立場を取るか、それとも予定律の立場を取るかで、世界の見え方は正反対に変わってしまうわけで、予定律的な表現であれば、それは「強運」ではなくて、単に「神に愛されている」ということになる。そして、生田さんは、正に神に愛されているように見える。

結局回り回って、めんどくさい説明は不要ということになって、生田さんは強運の持ち主である、そういう言い方で正面突破してしまうことにしよう。ならばこそ、こういう休業、学業との両立、そして大学進学という進路決定という、明らかにアイドル業にとってのハンディもまた、「強運」に見舞われて、不思議な結果へと、まだ見ぬ1ミリ先の未来へと導かれることになるのかも知れないし、そうなることを期待したいところ。

気がかりがあるとすれば、個人比較は無意味かも知れないけど、同様の意味での「強運」を発揮してきた前田さん、高橋さん、そして指原さんに共通していた特徴であるところの、正に命がけとも言える一所懸命さと、他に比肩する者のない、かけがえのない特異才能の存在。生田さんには、その両方が欠けているように見えることかと。

もちろん、神の意志に因果は関係ないとする視点からは、個人の資質など無関係なわけで、その立場から見れば、前田さん、高橋さん、指原さんの共通点は、ただの偶然なのであって、それ自体は何の意味もないことになる。一方で、その資質に神の意志の証しを確信するというプロテスタント的な世界観からは、生田さんの行く末は、それこそ神のみぞ知るとしか言えない。

かくして話は振り出しに戻る。「君の名は希望」という楽曲との特別な関係性や、故佐久間正英氏との公私にわたる関係性からは、生田さんが神に愛されているように見える。生田さんの未来に、その「強運」ぶりが発揮されんことを期待したい。