よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

日綜研博多にて講演

2006年05月21日 | ニューパラダイム人間学
土曜日は博多。クリニカルラダーの開発と運用について話す。クリニカルラダーを職務目的、成果責任、臨床実践能力、コンピテンシーモデルなどの方法を駆使して、創りあげる。この作業は、暗黙知の形式知化であり、過去の総ざらいであり、あるべき姿の仮想でもある。時間がなかったので、質疑応答は残念ながら事務局の判断で割愛。もっと、会場の皆さんと語り合いたかったのだが。

このところ茂木健一郎の「脳と仮想」が面白い。飛行機の中で読み耽る。仮想されたあるべき姿にみかって組織をつくり、人材を評価する。クリニカルラダーの創りこみは、あるべき現実を仮想することから始まる。仮想されたあるべき現実を、向こう側において、目の前の現実(的な状況)に変化を加えてゆくという作業は、けだし、きわめて認知の狭間で微妙な意味合いを持つか。

理念の構想、部門方針の策定、目標の立案など、組織運営にかかわる未来志向的なものは、すべて仮想的だ。未来志向とは「今、ここ」から、その先を見渡す認識のタバのようなもの。私たちの精神は、頭蓋骨の中の「今、ここ」の局所的因果性の世界と、「今、ここ」に限定されない仮想の世界にまたがって存在する。(p67)

社会的存在の人間は、組織との関わりあいのなかで生きている。人間は「今、ここ」に生きていると同時に、「今、ここ」の現実にないものを見ることによって、現実をより豊かなコンテクストの下で見ることができるようになった。(p35)だとしたら、組織は、「今、ここ」の立ち位置を保証すると同時に、未来のあるべき姿という仮想の機会を提供する認識の空間でもある。

どうやら頭のなかの1000億もの神経細胞は、切実に仮想を求め、仮想を求める人のなん割りかは、いたたまれず組織を求めるのだろう。就職、転職、起業、ニートからの復帰、いろいろあるが、人間は組織が提供する役割と本質的に無縁には生きてはいけない。病院、企業、NPO、軍隊、宗教団体を問わず、組織とは仮想をオーガナイズする意味空間を演出する装置でもありる。こと病院に限っていえば、その意味空間を編集するひとつの道具がクリニカルラダーでもある。