現在の私は全くテレビゲーム、及びそれに類するものをしない。趣味の関係上、どうしても時間を割くことができないからだ。しかし、私は小学校2年生の頃からゲームセンターに出入りしており、また、パソコンという名前ができる前から、自宅にコンピュータを持っていた(父が買ったのだ)。そして、日夜激しくゲームに励んでいたものである(金がなくて、ゲームセンターではそれ程でもない)。
以下、その頃の想い出のゲームについて書いてみることにするが、私のイメージでは「ゼビウス」が新しい方のゲームに入るので、とても波長が合わないという人が大部分であろう。
***
「風船割り」
黎明期(インベーダー前)のTVゲーム。ピエロをシーソーで飛ばして、画面上方を流れている風船にぶつけて割ると得点が入るという素朴なものである。ピエロをシーソーに乗せそこねて地面に落としてしまうと「ご愁傷様でしたー」という感じで葬送行進曲が流れるのであった。
「平安京エイリアン」
これこそ、初期アーケードゲームのいい味が出た名作。平安京をかたどった街中をエイリアンが駈け回り、それを検非違使が穴を掘ってエイリアンを落として退治するという謎の設定のゲーム。十字の形に穴を掘ってエイリアンを待ち受ける「秋葉掘り」などのテクニックが生まれたものである(秋葉原の街並みにちなむものである)。私自身も自宅のマイコン、TK80-BSにマシン語を打ち込んでやっていたのだが、自分の通路を回廊状に残す「ロの字掘り」で、ハイスコアを叩き出していたものである。
「モナコGP」
かなり初期のカーレースゲームで、当時のグラフィックとしてはかなりのでき。周囲の車をかわしつつ速く走るゲームだが、ハンドルが利きにくいスリップゾーンや、ライトの範囲しかコースが見えないトンネルゾーン、道が狭くなる橋コースがあり、かなり面白い。よく橋げたに激突して、死んでいた記憶があるなあ。さらに、突然サイレンの音と共に救急車がコースに登場して、レースカーをぶっちぎっていくのが強烈だった(ぶつかると救急車の方がはるかに強い)。
「ヘッドオン」
これはとにかくシンプルな割りには結構乗れるゲーム。逆方向に走る敵の車をかわして自分の車で画面上の点(ドット)を消していく遊び。これはアイディア勝ちだな。後にUターンして、敵車と同じ方向に走れるようになった「ヘッドオン2」というのが出た。
「ルパン三世」
グラフィックはちゃちだがなんとなく記憶に残るゲーム。ルパン三世(といってもキャラはアルセーヌルパン風)に金の入った袋を担がせ、追ってくる銭形警部やガードマンをかわして逃げるのだ。面クリアすると、峰不二子とルパンが出逢えるデモ画面が見られるのだった。
「スペースインベーダー」
昭和53年に発表された、何といってもゲームの歴史の中に燦然と輝く記念碑的な傑作。なにが革命的だったかというと、単純な事であるが相手が攻撃してくるということだ。もちろんインベーダー以前にもTVゲームは存在しているが、カーレースやオセロなどしかなく、相手が攻撃してきてそれを撃つというシューティング・ゲームはこれが始めてなのだと思う。
最初は何発目にUFOを撃つと300点になるとか(21発目とそれ以降14発目だっけ?)いう程度のことが話題になっていた。その後、「名古屋撃ち」「レインボー撃ち(ボーナス1500点?)」などの技に盛り上がったものである。ゲームの方もマイナーチェンジがされ、インベーダーが撃たれても死なずにふたつに分裂して攻めてくる「分裂インベーダー」や、UFOがインベーダーを産み落としていくのもあった。
続く。
以下、その頃の想い出のゲームについて書いてみることにするが、私のイメージでは「ゼビウス」が新しい方のゲームに入るので、とても波長が合わないという人が大部分であろう。
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「風船割り」
黎明期(インベーダー前)のTVゲーム。ピエロをシーソーで飛ばして、画面上方を流れている風船にぶつけて割ると得点が入るという素朴なものである。ピエロをシーソーに乗せそこねて地面に落としてしまうと「ご愁傷様でしたー」という感じで葬送行進曲が流れるのであった。
「平安京エイリアン」
これこそ、初期アーケードゲームのいい味が出た名作。平安京をかたどった街中をエイリアンが駈け回り、それを検非違使が穴を掘ってエイリアンを落として退治するという謎の設定のゲーム。十字の形に穴を掘ってエイリアンを待ち受ける「秋葉掘り」などのテクニックが生まれたものである(秋葉原の街並みにちなむものである)。私自身も自宅のマイコン、TK80-BSにマシン語を打ち込んでやっていたのだが、自分の通路を回廊状に残す「ロの字掘り」で、ハイスコアを叩き出していたものである。
「モナコGP」
かなり初期のカーレースゲームで、当時のグラフィックとしてはかなりのでき。周囲の車をかわしつつ速く走るゲームだが、ハンドルが利きにくいスリップゾーンや、ライトの範囲しかコースが見えないトンネルゾーン、道が狭くなる橋コースがあり、かなり面白い。よく橋げたに激突して、死んでいた記憶があるなあ。さらに、突然サイレンの音と共に救急車がコースに登場して、レースカーをぶっちぎっていくのが強烈だった(ぶつかると救急車の方がはるかに強い)。
「ヘッドオン」
これはとにかくシンプルな割りには結構乗れるゲーム。逆方向に走る敵の車をかわして自分の車で画面上の点(ドット)を消していく遊び。これはアイディア勝ちだな。後にUターンして、敵車と同じ方向に走れるようになった「ヘッドオン2」というのが出た。
「ルパン三世」
グラフィックはちゃちだがなんとなく記憶に残るゲーム。ルパン三世(といってもキャラはアルセーヌルパン風)に金の入った袋を担がせ、追ってくる銭形警部やガードマンをかわして逃げるのだ。面クリアすると、峰不二子とルパンが出逢えるデモ画面が見られるのだった。
「スペースインベーダー」
昭和53年に発表された、何といってもゲームの歴史の中に燦然と輝く記念碑的な傑作。なにが革命的だったかというと、単純な事であるが相手が攻撃してくるということだ。もちろんインベーダー以前にもTVゲームは存在しているが、カーレースやオセロなどしかなく、相手が攻撃してきてそれを撃つというシューティング・ゲームはこれが始めてなのだと思う。
最初は何発目にUFOを撃つと300点になるとか(21発目とそれ以降14発目だっけ?)いう程度のことが話題になっていた。その後、「名古屋撃ち」「レインボー撃ち(ボーナス1500点?)」などの技に盛り上がったものである。ゲームの方もマイナーチェンジがされ、インベーダーが撃たれても死なずにふたつに分裂して攻めてくる「分裂インベーダー」や、UFOがインベーダーを産み落としていくのもあった。
続く。
初期のPC-8000(32kbytes)で業務用のソフトを作って仕事に使っていた時期がありました。
診療報酬をdataに格納して改訂がある度dataだけ打ち直すことで対応できました。結構使いましたよ。
32k全部使ったので、ロードに時間がかかりました。
当時の8000はテープベースだったのです。
read-dataやgosubなどその後のワークステーションのアプリケーションの構造解釈に役に立ちました。
でも、私は基本的に理系ではありません。(笑)
この話題で反応していただけるのは、大変嬉しいです。PC-8000(NECの8001かな?)は、知人が購入したのをみて、非常に羨ましかったです。だってカラーでしたもの。
私が使っていたのは、TK-80(アセンブラだけで、メモリ1KB)に、ベーシックを乗せるためのTK-80BS(メモリ7KB)を増設したものです。
私がコンピュータを触っていた時代も、もちろん記憶媒体はテープでした。DISKがない! ということを今の人は理解できないのではないかと思います。メモリーから消えてしまうと、テープからロードするしかないのですから。
私は理系・文系という分類を普段はしませんが、あえて自分を言うならば「魂は文系、用いるメソッド(方法論)は理系」です。意味分かりませんけど…