ばばちゃんのおっちゃんの日本語の先生への道

日本語の先生になろうと一念発起いたしました。

その3

2016-07-07 16:25:22 | 9.日本的なるもの
宗教

 日本文化の基本となる教えが3通りあります。神道、仏教、儒教(四書五経)等です。

 神道は、教義も経典も、聖書も有りません。神羅万象が神になりますし、また偉人も神になります。

 どちらかと言いますともともとは、太陽神の系統であり、その太陽神は女性神です。日本神話に登場する天照大神(あまてらすおおみかみ)は、皇室の祖神で、日本国民の総氏神(そう・うじがみ)とされています。そして、伊勢神宮に祭られています。

 子供の頃教えられたのは、「隠れて悪いことをしていても、だめですよ。お天とうさんが、見ていますよ。」と、悪行を戒めるために、よく言われた言葉です。しかし、良し悪しは、明確ではなく、自分でよく考えなさいと言うことで、その判断は、我々自身に任せられています。宗教が命令することは有りません。

 穢(けが)れは、禊(みそぎ)をすれば、取り除くことができると考えます。神社で行うお祓いは禊の一種であり、滝に打たれて身を清めるのも禊になります。もともと、人は善性を持って生まれたものと考えているようです。

 これは、おとぎ話(童話)にも通じているのではないかと考えます。「桃太郎」や「さるかに合戦」では、鬼や猿を退治はしますが、心を入れ替えさせ、仲良くするというストーリーになっています。通常、西洋の童話は、勧善懲悪で終わってしまいますが・・・・

 仏教は、もともと自己修練のためのものであったようですが、でも、誰もが修練をやるわけにまいりませんので、しっかり働けば、修練と同じ効果が得られますというように教義が、すり変わって行ったようです。これが日本人に勤労の精神を植え付けたという説が有ります。プロテスタントが資本主義に貢献したように、この勤労の精神が、日本の資本主義の発展に貢献したのではないかという説もあります。
 その後、仏教は、お経を唱えれば、極楽浄土に行けますというようにまたも教義がすり変わり、現在に至っています。

 で、亡くなった方は、神になったり、仏になったりで、いくら悪行を重ねた人でも、禊が済み、悪行は、水に流してもらえます。リセットされたように、原点復帰ができます。

 儒教は、日本では科挙制度が取り入れられなかったためか儒教本来の価値が定着しませんでしたし、宗教というよりは、儒学というような形で、国家統治の経世済民思想や帝王学的な受容をされたため、宗教として意識されることは少なかったようです。しかし、いろんな場面で、言葉が引用され、教えは、現在も生きています

 日本人は、多神教、あるいは、無神論者が多いと言われたりしますが、べつに、あれもこれもといろんな神を信仰しているわけではなく、いろんな人がいろんな宗教を信じていてもいいのではないですかというような考えではないでしょうか。
また教義のはっきりしない神道と、はっきりした仏教を、対立させずに、共存させたのは、皇室の人間でありながら、仏教に帰依し、国教に近い、位置に持ち上げた聖徳太子ではないかという説が有ります。

その後、本地垂迹(ほんじすいじゃく)説という神仏習合思想の考え方が表れて、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部(インドの神話等の神々も仏教に取り入れられた)なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)さまであるとして、同一視するようになり、神道と仏教を余り区別しなくなったようです。

 中国は、現在共産主義の立場をとっていますので、「宗教は麻薬」という訳ですが、一般の人はどんな立場をとっているのでしょうか。
 儒教が生まれた土地ですが、科挙を受ける人は勉強したでしょうが、大部分の人はつい最近まで、文盲であり、文法は、科挙を志す人にしかわからなかったようですし、書物が簡単に手に入ったとも考えられませんので、実際には、普及していなかったと考えられます。
 どうも、仏教でもなく、現世ご利益の道教が主流のようです。

 韓国では、儒教、仏教、キリスト教が、3分しているようです。しかし、日本人が、それらの名前からイメージするものから随分離れているようです。

 という訳で、学習者の国では一般的に、宗教的な環境が、どんな状況か、またそういった立場から、日本の宗教、日本人の宗教は、どのように見えるのか、知りたいと思います。

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