ばばちゃんのおっちゃんの日本語の先生への道

日本語の先生になろうと一念発起いたしました。

20160618

2016-06-20 14:15:21 | 7.私の日誌
日本語講座
 本日は、模擬授業の日。
 前回、「講師は、よく似た文型を、複数列挙して、それぞれの用法の違いを説明してくれます。」と、申し上げましたが、日本人が、そういった説明を聞けばよく分かりますが、 駆け出しの先生が、外国人に説明しようとなりますと、これは、なかなか厄介な問題で、難しい。本当に伝わるのであろうか。

 私は、先ず「人に教えようとしても、およそ3倍の知識がないと、教えられない」と、言われてきました。先週、習ったばかりで、まだ、知識として定着していません。
 説明は、どうしても抑揚のない、ノッペラボウな説明になってしまいます。そうなりますと、それぞれの文型、言い回しの差を、引き立たせることができず、理解してもらえないのではないでしょうか。

 日本人は、どうして、わざわざ、いろいろな場合分けをして、言葉の使い方を変化させて、きたのでしょうか。どうも、それぞれの文化、環境に由来すると考えますが、なかなか適当な説明が見つかりません。簡単に、それとなく教える方法がないものかと考えます。
 最近では、「おもてなし」とか、「もったいない」とかが、大した考えもなく発せられていますが、拠って来るところは、誰もわかりませんし、誰も説明しません。紹介する方も、される方も本当に分かっているのでしょうか。

 「丁寧語」、「尊敬語」、「謙譲語」等の教科書通りの説明は出来ても、なぜそういう言葉が必要になってきたのか説明が有りません。
 日本には、「一歩下がって、二歩前進」という言葉があります。(水前寺清子が、三歩進んで、二歩下がると歌っていますが、あれは、嘘です。日本の文化には、そんな考えはありません)
 日本以外の国は、「俺が!! 俺が!!」でないと、自分の生命さえ覚束ない時代が、長かったので、そんな悠長な文化はないのではないでしょうか。「ディベート」なんてその最たるものでしょう。

 日本は、ユーラシア大陸、或いはアジア大陸の東の端にあり、もうそれ以上、逃げ場が有りません。(支那大陸、朝鮮半島の人々は、自己主張をしつつ、コンフリクトを避け、どこへでも逃げていくことが出来ました。)だから、コンフリクトを避けなければなりませんし、村八分のように仲間はずれになることを、一番恐れていました。
コンフリクトを避け、取りあえず、相手をたて、尊重し、物事を進めて行こうとする考え方から、「丁寧語」が、生まれてきたのではないでしょうか。

 講師は、日本文化を肯定的に捉えている学習者の方が、日本語が上手になるのが早いとおっしゃっています。日本文化の何をどう理解すれば、日本語が身に付き易いのでしょうか。



 講師はまた、我々の教え方のマインドとして、「文型優先ではなく、状況を先に作り(場面を設定し)、それを日本語でどう表現するかを説明するようにもって行きなさいとのアドバイスです。
 余裕のない駆け出しの日本語教師は、頭では理解できていますが、往々にして、文型優先になってしまいます。
 参考になる引き出しをたくさん持ち、しっかり中身を増やしていければ、随分改善できるとは思いますが・・・・・・・・・。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする