熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。
聖徳太子が林の中で教えを
説かれたことからこの名前が
ついたそうです
近江八幡市安土にある教林坊
不均等な石段を一歩一歩
上がります
すると
茅葺でしょうか
古そうな門が見えてきます
日に輝く南天の実が
迎えてくれます
経蔵の屋根越しに
わずかな紅葉が見えます
この経蔵も珍しい造りで
壁は土塀ながら屋根は茅葺
この近江の地は萱の産地です
近郊の水郷巡りをすると
回りには沢山の萱が
生茂っています
もう少しするとこの周りの
もみじ達も紅葉してくる
のでしょう
苔むした庭の中に大きな石
この石の上で聖徳太子が
お説法されたということです
ご本尊は十一面観音さま
創建が聖徳太子の頃ですから
630年頃です
始まりだした紅葉を見ながら
庭の中を巡り客殿でしょうか
掛け軸の庭という
障子を掛け軸の表装に見立て
外の庭眺めるのです
不思議なものが
鬼の角という
そういえば最近
家内が角をなくしたとか
ここに来ていたのか??
本当は聖徳太子の話を聞いて
鬼が心を改め
ここに角を置いて行った
というのです
紅葉したら
緑の苔と紅葉の赤と
見事な景色になるのでしょう
11月15日からは夜の
ライトアップが始まるようです
まあ、一足早く
緑のもみじと紅葉し始めの
もみじを楽しんできました。
一休さんの歌に
「釈迦といういたずら者が
世に出でて
おほくの人を迷わするかな」
というのがあります
何とも皮肉ったというか
警鐘を鳴らしているというか
面白い歌です
普通にはお釈迦さまが出て
迷える人を導いたと
いうのですが
一休さんは迷わしたと
歌っておられます
「人生楽ありゃ苦もあるさ」
というテレビ活躍の
水戸黄門さんの歌があります
人生は苦しいこともあるけど
辛抱して我慢すれば
きっと良いこともある
人生は苦楽相半ばだと
こういうのです
普通には
この方が理解できます
苦と楽とが半々にあると
しかし、
お釈迦さまは
「人生は苦なり」と
何とも嫌なことを仰る
まあそういうことをから
一休さんは
「おほくの人を迷わした」
というのでしょう。
「苦」ということも
よく「四苦八苦する」と
いいますが、
この四苦八苦の苦も
別な見方をすれば
「三苦」(さんく)という
見方があります。
苦苦・壊苦・行苦です
この苦苦と壊苦は誰でも
感じる苦です
ですから
「人生楽ありゃ苦もあるさ」
というのは
苦苦と壊苦のことなのです
四苦八苦で見ると
病気するとかの病苦
怨憎会苦(おんぞうえく)
という、嫌な人とも
一緒にいなければいけない
という苦しみ
それから
欲しいものが手に入らない
求不得苦(ぐふとっく)
というこの三つが
苦苦にあたります
つまり嫌なこと都合の悪い事
が目の前にある
ということです
壊苦というのは
大切なものが壊れていく
と感じる苦
老いていくという老苦
若さという大切なものが
離れていくということ
(頑張ってアンチエイジング
するのですが)
それから
愛別離苦、大切な人愛する人
ともいつかは別れがが来る
そして
その窮境は死です、死苦
このことも
死を体験した人はいないとも
いいます
死ぬ、死ぬと言っても
死んだときは
意識がありませんから
死んで
すべてが無に帰してしまう
恐怖があるのです
この苦苦と壊苦は
誰しもが感じる苦です
ところがもう一つ
「行苦」(ぎょうく)
という苦があります
このことを
お釈迦さまは
「人生は苦なり」と
仰ったのです
「行」行為ではなく
諸行無常の「行」です
お釈迦さまは
一国の王子さまとして
お生まれになり
何不自由ない生活を
しておられました
やはり
お母様が自分を生むと
すぐに亡くなられという
そのことが大きな疑問に
なったのでしょう
そこで一番感じられたのは
「行苦」ということです
すべては移り変わり
一時として同じことはない
元気であっても死ぬし
何故お母さんは自分を生んで
すぐ亡くなったのだろう
亡くなるくらいなら
生まなきゃよかったと
ですから
宗教的には非常に早熟と
いえるのではないかと
思います
一休さんも
「釈迦といういたずら者」
という表現で
本当は人生の一番の要を
説いておられるのです。
『十地経講義』も
四聖諦の最初の「苦聖諦」
苦ということを
ずっと取り上げておられます
しかし
今日のことは安田先生の話
ではなく
私自身の感想です。
四諦、四聖諦(苦集滅道)
のなかの「集」ですが
求めて飽くなき愛着が集だと
ありますが、
講義では、
「苦しんでいるのは自分です
苦しんでいるという事実が
あるのは自分自身です。
世界といっても
人生といっても
自分の存在の他にはない。
そういうことになる。
だからそういうときには、
苦悩にあえぎながら
思索しとるんです。
楽しんで
傍観しとるんじゃない。
正しく思惟すると、
苦悩を受け取って、
逃げ出そうとせずにそれを
内観するわけです。
苦を内観するから集という。
何が苦しんどるのか、
なぜ苦しんどるのか。
苦しんどるというのは
いったいどういう状態なのか
こういうように
苦を内観していくわけです。
苦しいと
すぐ助けてくれと、
そういうのは
苦というものを
祈りというようなもので
神の力を借りて解脱する
とかいう低い意味の宗教意識
そういうもので
解決しようとしなかった。
苦悩を内観する。
つまり苦を知ることによって
苦を解脱する。
だからそこに、
正見の智慧だけが苦悩から
解脱させる。
苦行したり初めやってみた、
仏陀も。
けどそれは無駄だったと、
無駄骨を折ったと。
それからインドには
ヨーガというものがあります。
ヨーガというのは定ジョウです。
精神を澄まして何か一つの
ある特殊な境地というもの、
無念無想の境地に達したのが
解脱だと、
こういう考え方がインドでは
非常に強いんです。
やってみたけど、
それはまあ
それに違いないけど
長続きがせんではないか。
定におる間は平静でも
定を出ればいっぺんに
壊れてしまう、元の木阿弥。
だから
定が涅槃でじゃない。
定が苦の滅を証するもんじゃ
ない。
けど定は無意味じゃない。
やはり正見というものを
生み出す一つの方法にはなる
それで正定を組織に入れた
わけです。
苦行の方は捨てちゃった。
けど定の方は組織して
止観という。
今日の言葉では内観です。
この道を見出きたところに
仏教というもの非常な
特色がある。」
面白いことに
西洋ではフランクルという
精神学者ですが
アウシュビッツを生き抜いて
こられた方ですが
「生命そのものが
一つの意味を持っているなら
苦悩もまた一つの意味を
もっているに違いない。」
また
「苦悩することは
人間の一つの能力である。」
こういうことを
アウシュヴィッツという
極限の中から
感じとられたのです。
「集」という
苦悩する、苦を内観する
そこから
苦をよく見ることによって
苦からの解脱をはかる
という
何か洋の東西を超えて
通じるものがあるようです。
四諦(したい)・
八正道(はっしょうどう)
お釈迦さまが最初に説かれた
教えで、初転法輪といいます
(しょてんぼうりん)
お坊さんになると
まず教えてもらう教えです
この『十地経講義』でも
出てきまして
安田先生がどのように
説かれるか興味のあるところ
です
その前に四諦の内容は
苦聖諦クショウタイ、
苦集聖諦クジュウショウタイ
苦滅聖諦クメツショウタイ
苦滅道聖諦クメツドウショウタイ
で、略して苦集滅道と
いいます
第一は(苦聖諦)
迷いのこの世はすべてが
苦であるということ、
第二は(苦集聖諦)
苦の因は求めて飽くなき
愛執であるということ、
第三は(苦集滅聖諦)
その愛執の絶滅が苦を滅した
究極の理想境であるということ、
第四は(苦集滅道聖諦)
この苦を滅するには
八正道によらなければ
ならないということ、
というのが四聖諦の内容です
講義では
「人間といっても、
人間は言葉を語るものとか
道具を作るものとか、
いろんな規定があるけれども
『何よりも大事なのは
苦しんでいるもの』
という意味です。
生きているということは
苦しんでいるということだ。
しかし楽しみも半分ある
じゃないかと、
こういうようにも考えるけど
そうじゃない。
苦にも色々あって、
苦苦というのもあるけど、
行苦というわけで
すべてははかないもの…
行… 諸行無常です。
常なきものということが
苦なんです。
別に痛いとか
そんな意味の苦じゃない。
そんな意味の苦は苦苦です。
そうじゃなしに
生きていることが苦だと
いう場合、行苦。
苦もあり楽もあり、
半分半分というような
ものじゃない。
苦ということが
人間存在の本質なんだ。
こういうような存在を考える
のを実存というわけです。
仏教というものは初めから、
仏教における人間存在は
実存としての存在です。
苦悶するとか煩悶するとか
悩むとか、
そいうことのない人間には
仏道はいらんわけです。
それが一番大事なことです。
生きていることに
悩みも苦しみもないものに
仏道はなにも
必要のないものだ。
苦しまんでも
必要だというのは興味、
知的興味です。
それも
一つの興味あることだと
いうようなものだ。
人間は何にでも
興味をもちますから。」
やはり中心は「苦」です
それで苦も四苦八苦という
見方もありますが
別に「三苦」といって
苦を、苦苦、壊苦、行苦
という見方があります。
苦苦は好ましくないものから
感じる苦で、
病気とか貧乏とか嫌なことが
目の前にあるという苦です。
病苦とか怨憎会苦、求不得苦
これはグフトックと読みます
こういう嫌なものがやってきた
というのが苦苦です
それから、
壊苦、
自分にとって好ましいもの
が去っていく
壊れていくという苦で
老苦、若さが去っていく
死苦、健康で元気にしていた
それが壊れてついには死
ということです
もう一つ
愛別離苦というのも壊苦に
なります
いとしい愛する人との
別れです。
そして人間に分りずらいのが
行苦です
これは生苦と五陰盛苦です
一瞬たりとも変わらない
ことはないという
お釈迦さまの出家の動機も
この行苦ということが
一番の問題になったのです。
四諦の問題も
その最初で根本は「苦」
ということです
宗教でも苦から出発している
のは仏教だけでしょう。
八正道まで
たどり着きませんでしたが
また出てくると思います。
何ともタイムリーな講演です
ー実朝暗殺と承久の乱ー
~その時義時はどうしたか~
という題です
NHK大河ドラマ
『鎌倉殿の13人』で明日の
日曜日はその場面でしょう
講師の方は
「林 和清」先生です
歌人でもあり和歌を詠まれて
おられます
そのせいか、響き渡る
素晴らしい声に
聞き惚れながら
まるで現代の講談を
聞いているような
講演でした。
段々と義時を演じる
小栗旬さん
その目つきが
いかにも悪そうな心を
表現してきています
国際日本文化研究センターの
井上章一先生が
テレビで話されていましたが
「鎌倉は怖いとこどすな~」
と仰っておられましたが
義時役の小栗さん
まさにそのようです
ふと、思ったのですが
その時代、仏教界でも
転換期のようで
鎌倉仏教が起こり
法然、親鸞というような
お祖師方が宗派を起こされた
時でもあります
何かしら関係があるのかと
思ったのですが
簡単に見ただけでは
つながりはなかったようです
ただ、
義時の子泰時
坂口健太郎さんが演じて
おられますが
北条家中興の祖といわれて
おられます
泰時は高山寺の明恵上人に
深く帰依されたようです
やはり、内面性が深い方
だったのでしょう
宗教界では
鎌倉時代の転換期
それから明治時代の転換期と
仏教復興の運動がありました
政治的にも宗教的にも
新しい変換があった
大変な時だったのです
明日の大河ドラマは
いよいよ佳境に入り
小栗さんの義時の動きも
注目すべき、ということで
どのように演じられるか
楽しみです。
「老い耄れる」
次第に身に沁みて感じてくる
言葉です
老いという字は
頭髪の長い背中の曲がった人
が杖をついている姿から
来た文字です
それにさらに毛をつけて
耄モウという
年をとって目がかすむ老人
ということを表します
何とも酷い字ですが
現実だから仕方ありません
老いを感じるのは
やはり病気したときです
今までの体力が一気に
落ちてきて
突然、老い耄れてくるのです
老病死
老いということは
隣に病気というものが
あります
すると、死ということが
よぎってくるのです
老病死というのは
ワンセットです
仏教では
老・病・死を三種の身苦
貪・瞋・痴を三種の心苦
というのです
お釈迦さまのさとりも
四苦八苦の発見です
人間がなぜ苦しむかというと
分析すれば
老病死の四苦があり
さらにもう四つ加えて
四苦八苦と
苦はインドの言葉で
ドウフカduhkhaといいます
du は嫌悪といい
kha は空虚という意味が
あります
ですから、
自分にとって心に叶うことは
楽と感じ
叶わないときは
苦と感じるのです
今までは何にもなかった
ちょっとした病気でも
すぐに治ったものです
ところが
老いというものが
加わってくると
それがもとでだんだん
病というものが
進んできます
今まで元気にしていても
病気ということにより
一気に進んで
老ということがさらに
老い耄れるという
ことになってきます
すると、
死ということが身近に
感じられます
「生死巖頭に立つ」
という言葉があります
常に死というものと
隣り合わせにあるのが
私たちである
という認識に立って
生きるということでしょう
いつかやって来る死ではなく
いつも死と共にある
というのが私たちの存在です
ですが
元気でいると
ついつい忘れてしまい
いつまでも命があるように
錯覚してしまうのです。
老いに惚れながら
惚れという字も
恍惚ということがあって
惚れるはボケるに
通じるのですが
まあ、老いと上手に
惚れながら付き合って
いかなければと
思い知らされました。
文化の日の今日
ロームシアター京都で
京都市交響楽団による
コンサートがありました
久しぶりに聞く生の音
やはり酔います
このコンサートも
稲盛財団によるものです
稲盛さんも素晴らしいものを
残されたものです
「人のため、世のために
役立つことをなすことが、
人間として最高の行為である」
そして
「人類の未来は、
科学の発展と人類の精神的な
深化のバランスがとれて、
初めて安定したものになる」
という稲盛さん理念のもとに
こういう文化活動や研究助成
社会啓発という活動が
なされています
経済活動だけでなく
文化活動にも力を入れられ
こういう
大きな財産を残されたことは
何よりも素晴らしいことです
皆さんにとっても
やっとこいう場での演奏に
身を浸すことができた
そういうことでしょう
会場は拍手が鳴りやまず
何度も何度も
カーテンコルがあり
アンコールにも答えられ
とても盛り上がった
演奏会でした
その気持ちで一歩外へ出ると
少し紅葉が始まっている
ようです
岡崎公園は大変な賑わいです
空の雲も長く伸びた私の影も
色づき始めた銀杏の木も
秋らしさが感じられます
今回はバスでの往復
久しぶりの満員バスに
揺られながら
このバスは有名どころを
走るのです
心が豊かになっていたせいか
この満員バスの揺れも
楽しいものでした。
最初から安田先生の教えを
聞こうと思ったわでもなく
たまたま、
東寺の宝菩提院に
お世話になった時
『十地経講義』が開かれて
いたのです
当初は一泊されて
二日にわたる講義でした
私たちにとっては
掃除と準備で
一月の中で一番忙しい
時でした
末席に座り
分からない講義を聞く
時折ひらめく言葉に出会い
分からないなりにも
先生の話には嘘がない
本当の話ではないかと
思っていたのでした
ただ、一番苦痛だったのは
講義も終わり
座談会で、
今日の講義についての
質問を順番にする
ということです
尋ねても
先生は黙して答えられない
聞いた方が赤面するような
「維摩の一黙雷の如し」
ということがありますが
その黙されている姿に
その場の張りつめたような
空気に重みを感じたのです。
しかし、講義を読んでいると
先生ご自身も
やはり
感じとられていたようで、
「我々が法を聞くとか、
法を求めるとか
そりゃ深い自覚から
求めりゃせんのです。
初めから深い自覚で求める
といったら
求めるものは一人も
おりゃせんのです。
なんか縁に触れて
ちょっと聞いてみる。
聞いたみるとやっぱり
聞かずにおれんようになる。
仏道を聞かずにおれんように
なるということは、
仏道の歴史をもっとるから、
各人が。
だからして、
各人が各々その歴史を、
仏道の歴史を背負って
仏道を求めている。」
本当にささやかな
偶然というか
しかし、その根底には
人間が仏道をもっている
ということが
そうせしめているのでしょう
「だから、
座談会というようなこと
言ってもうまくいかんのです
僕はあちこちで経験するけど
なかなか、
その問うこと出てこんしね
そうかといって、
問うのを待っと、
時間が済んでしまう。
問わんちゅうわけにはいかん
問うても一向、何か、
心臓の太い、厚かましい
人間の座談会になってしまう
声の大きい方が勝ってしまう
ということになって
なかなか
うまくいかんもんです。
それほど何か、
問いというのは深いもんです
やっぱり相手に
答えるんだから、
相手の表面を超えて
相手の内面に深く入って
ですね、
そこで歴史をもっとるん
だから、相手が。
それを解明してくると、
こういうようなことですね」
先生も、
よく言われることですが
「修道的人間」と
人間のあり方が修道的だと
修道ということにおいて
人間が成り立つと、
歩み続けている
というでしょう。
先生も自分は学生だと
学生それを(がくしょう)と
よんでおられました
一生勉強し続けると
それが本当の人間の
あり方ではないのか
ということです。
まあ、
本当に不思議なご縁です
学生時代に聞いたこの講義が
自分の一生の課題になるとは
おかげで
何か知らし続けることが
出来るということは
有難いことです。