本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

人生というものに解決はない

2018-01-19 20:51:51 | 十地経

読んでいてちょっと衝撃的な文

 

「人生というものは解決がある

と考えていることが

大きな間違いじゃないかね」

 

なんだか、人生とは解決がって

悠々と死んで行けるのか

と思っていましたが、

解決はないのだと!

ビックリするような反面

ちょっと安心もするような…

 

仏さんということを

「何々し、もて行く」

という表現で道元禅師が

よく使われておられます。

さとりという所に

腰を落ち着けるんじゃない

さとったところからまた

修行していくという。

 

そこで、

英語に堪能な鈴木大拙先生は

ingという進行形で

表現しておられます。

「さとりing」というか

さとったという名詞ではなく

常に歩み続けるという進行形で

さとりということ表しておられる

つまり

さとりという到達点はないのでしょう

 

ということからすると

人生に解決はない

ということは頷ける気がします

何も考えなくなって

問題が無くなることではなく

常に問題を持ち続けて

考え続けていく

しかし、解決はない

解決がないのなら止めてしまうか

解決がないけど

問題を持ち続け考え続けていく

ということが大事なのです。

 

その問題の持ち方ですが

 

「隠居みたいな所におると

さあ、時間もあるし金もある

というようなことをいうと

その程度の求め方しかできない」

 

ということがあります。

ちょっとドキッとする文ですが、

 

住職を譲って

見ていると何かしら心配なような

けど、1年たち2年たつうちに

段々としっかりしてきている

それはどういうものかというと

あゝいう立場、寺の住職であり

菩提樹苑さらには沙羅の苑の経営者

という抜き差しならぬ立場に

身を置くということです

置くというと

その置いた身が立つような

道の求め方をしてくるのでしょう。

逃げ出す訳にはいけない

だからこそ

求め方も厳しくなってくる

そこに本物を見る眼が育ってくる

と思うのです。

 

ですから、『十地経』の読み方も

私の場合、隠居仕事の読み方

になってきているでしょう。

二進も三進もいかない所で

読んでいた時は

どこを開いても響くものが

あるのです。

ほんの一文でいい救いがあります

今は、

時間もあり、丁寧に書き写しながら

行きつ戻りつしながら

順を追って読んで行けるのですが

それは幸いなことですが

切羽詰まったものはないようにも

思うのです。

ただ、切羽詰まったといえば

限られた時間ということです

どこまで頭がもつか

仏道を求めた人といえども

認知症が出だした

ということも聞きます。

 

時間との勝負ということも

ありますが、

この経典の中から問題意識を

発掘して心を奮い立たせ

歩み続け、読み続けること

しかないように思うのです。

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風邪の予防

2018-01-18 15:59:46 | 住職の活動日記

先日、林修先生の番組で

風邪の予防の話が出ていました。

私自身も忘れないために 

しておきます。

 

まず鼻かぜには

第3位 蓮根汁を鼻につける

 (絞りかすは甘酒に入れて飲む)

第2位 足湯

第1位 蒸しタオルで鼻を温める

 

喉かぜには

第3位 ミカンの白い筋も食べる

    1日 2個ほど

第2位  咳止めには寝る前に

    蜂蜜をスプーン半分なめる

第1位 マスクをして横向きに寝る

    (ワセリンを塗るのもよい)

 

寒気には

第3位 足指体操をする

    (開いたり閉じたり、

     足指じゃんけんとか)

第2位 へそにカイロを貼る

 (体を温めるにはここがベスト)

第1位 三つの首を温め放熱を防ぐ

   (首・手首・足首)

 

ということです。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せを願う!!

2018-01-17 16:34:17 | 漢字

新年を迎え初詣でをして

色々と幸せになるようにと

お願いをされたことと思います。

 

あなたを幸せにします!

と、

しかし、考えて見ると

お互いの幸せの価値観が違うと

思うのです、

後からこんなはずじゃなかった

ということがたびたび出てきます。

 

願うということは

とても大切なことです。

徳川家康の旗印のように

「厭離穢土 欣求浄土」

この苦しい世を厭い離れて

浄土を希うと、

本当に苦しいこの世を離れ

安らかな浄土を願ったのです。

純粋な意味で願うということが

切実だったのです。

 

幸せ、幸せといいますが …

しかし、よくよく考えて見ると

今以上に何を願うのでしょう。

昔から思うと

これほど豊かな時代はないようです

 

幸せ、という字を調べてみると

この文字は「干部」ほしの部首の

漢字です。

他に、平とか年という字も

この部類に入ります。

 

そこで、

「幸」の字の成り立ちは

夭(ヨウ)と屰(ゲキ)から

出来ています。

夭は若死にするという意味

屰は逆ですから反対の意味

死ぬべき時に死をまぬがれる

ということが

「幸」のもともとの意味です。

そこから死をまぬがれた

ということで、しあわせの意味に

なったということです。

 

そういえば、

『法句経』(ほっくきょう)という

お釈迦さまの言行録を記した

お経があります。

そのなかに、

「人の生を受くるは難く

 やがて死すべきものの

 いま、命あるは有り難し」

という一句があります。

 

「ありがとうございます。」

と何気なく使っていますが、

本当はこのお経からでてきた

言葉です。

有ること難し(あることかたし)

有りうべからざることが

有るのだ、という

サンキューとはちょっとニュアンス

が違います。

 

「やがて」というのは

生れてからやがて亡くなる

ということではなく、

いつでもということでしょう

死と隣り合わせに生きている

ということです。

 

人間として生まれることも

難しいことなのに

まして、

今日一日無事に生きるということの

難しさ、

そこに今日一日は有ること難し

「有り難い」

ということになるのです。

 

「ありがとうございます」

今日の日の大いなる喜び

という感動の言葉です。

 

最近とみに

元気な時はさほど感じないのです

しかし、

ちょっと風邪でも引いて

寝込んでしまうと

治りも遅く

心細くなってきます。

本当に今日一日

有ること難し、です。

 

幸せになりたい!

でも、

今あること自体

これほどの幸せはないのでは

ないでしょうか?

あれも欲しい、これも欲しい

と欲することも大事ですが

現状の自分を見つめなおすことも

大切ではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北風吹きぬく寒い朝は…

2018-01-16 20:06:13 | フラワー

今日はやっと暖かくなりました

気温も上がり13度ほど

 

 

タンポポもこの暖かさを

楽しんでいるようです

 

 

寒かったのでしょう

花の茎も伸びきらずに

草の中にやっと花を出しています。

 

 

水仙たちも顔を見合わせるように

暖かいね! 暖かいね! と

話し合っているようにも見えます。

 

今日の花は本当に寒い

宇治市でもマイナスを記録した日に

活けられたのです。

 

 

その寒い時だったので

思わず、

この歌を口ずさんでいたのです。

 

 

部屋の中がパッと

明るくなったような

そんな元気をくれるように

それぞれの花が輝いています。

 

 

外は寒い風が吹いています

部屋の中で明るい笑顔をふりまいて

私たちを元気にしてくれるようです

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉に感動する

2018-01-16 14:57:09 | 十地経

十地経講義の中にこういう一文

に出会いました。

 

「言葉に感動することから始まる。

あるいは、感動するまで

言葉を繰り返し読むということ

それが一番大事です。

理屈をやめて聞くんです。

そして言葉の感動 … 。

だから、知るというのはね、

聞くといういうことです。

聞(もん)ね。

つまり言葉をして言葉を

語らしめるんです。

こっちの頭でいろおうとせずに、

考えをやめて無になって聞く。

己を空しうして聞くという、

己を空しうして言葉そのものになる

それが三昧なんだ。

耳で聞くんだけど、

全身が耳になったら、

それが三昧なんだ。…」

 

と続いていくのですが、

この講義を初めて聞いたのが

大学1年生のころ

初めて聞く言葉に何のことやら

さっぱりわからず、

けど、全くわからないかと言えば

わからんでもない、

ちょっとした言葉の端端に

ハッとする言葉や

心に響いてくる言葉、

その言葉に感動しつつ

まだいまだに感動しつつ読み

そして書き写しと

いまだに続いています。

 

有難いことに?

頭が悪くすぐ忘れる

ですから同じ所をまた読んでも

忘れているのでまた感動する。

憶念不忘といって

心に深く念じ忘れないということが

肝心なのですが、

まあ、忘れるということも

今の

自分にはいいことかもしれません。

 

不思議なことに

老人ホームでのお説教

何を話してよいやらまとまらず

いつも、ホームの駐車場で

持参した十地経講義を

開いた所を数ページ読む、

この講義を話すわけでもないのです

しかし、

頭が整理されてくるのです。

この本はなんというか

三昧に引きずり込んでくれる

そういう力を持っているようです。

 

今頃やっと

最初から書き写していると

その流れが少しわかってくる

すると講義は

驚くほど繰り返し繰り返し

話が進んでいないのです。

この十地経という経典

その原始林を切り開くかのように

行きつ戻りつしながら

講義が展開して行きます。

先生ご自身が感動するまで

繰り返し繰り返し読んでおられる

自分が自分に感動しながら

読んでおられることが

よく分かります。

 

私たちはその感動された滴に

また感動しているのです。

随分薄まっていると思いますが

それでもいいのです。

 

たぶん生きているうちには

全部書き写せるでしょう。

そうしたらどうするか

また、第1巻から書き写していく

すると、また新たな発見も

あるかもしれません。

 

以前、講義の資料として

それまで使っていた大正蔵経が

字が小さくて見にくく

確か卍蔵経でしたか??

活字も大きく

それも手で彫ったような文字

安田先生も感動されて

また最初から読みなおそうか!

と言っておられました。

 

世の中には

色々本は沢山ありますけれども

やはり、

自分が感動した本を

読み続けるというのも

いいものではないでしょうか。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前田珈琲と999,9

2018-01-15 14:19:23 | 住職の活動日記

四条蛸薬師を西へ入った所に

向い合せるように

お店は並んで立っています。

 

 

本店は昔ながらの建屋を

改築しているようです。

一寸試食したいものもあり

お邪魔しました。

町に出た折には時々色々な店舗で

コーヒーを楽しんでいます

 

 

丁度お昼時ということもあり

たまごサンドを頂きました。

色々のたまごサンドがありますが

このお店の品も絶品です。

 

 

歴史を思わせる消火用ポンプ

「龍吐水」(りゅうどすい)とあり

明治時代に購入したもので

町衆の誇りと結束の証として

守っているということで、

 

 

ポンプには『橋弁慶町』と

祇園祭の時には、

「橋弁慶山」が飾られます。

 

 

前田珈琲のコーヒーカップのロゴは

なんとも不思議な文字?

チベット文字のような…?

「maeda」をデザインしたものです

下の部分がAですよね、

 

 

ここが大きな焙煎機、

ここで美味しい珈琲が

作られるのですね。

 

そして、そのお隣りは

 

 

なんともオシャレなお店

中へ入ると

 

 

眼鏡のお店です。

とてもいいデザインをされた雰囲気

 

 

狭いながらも上手に工夫された店内

京都の店らしく「うなぎの寝床」

間口が狭く細長い

その作りを上手に生かして

設計されています。

 

 

店の突き当りに蔵らしきもの、

お聞きすると、

「橋弁慶山」の山を収めている

くらということです。

祇園祭の時は、

店内の柱、陳列の壁とか

全部取り外され

祇園祭のお飾りができるという

ことです。

 

昔から伝わっているものを

いかに、今に生かしながら

伝えていくかという知恵が

そこにはあるようです。

 

 

古い町屋と

「999,9」フォーナインズ

ベストマッチング

ではないでしょうか。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鞍馬は雪化粧

2018-01-14 20:14:24 | 住職の活動日記

近鉄から京阪に乗り換え七条で下車

ここから徒歩で三十三間堂へ

ここで初観音にお参りして

遠目ながら

 

 

通し矢の雰囲気を味わい

なにせ2000名の方が朝7時半から

矢を射られる

丁度今年成人を迎える方も

晴れ着を着ての挑戦です。

境内は人、人、人

残念ながら矢を射るところは

見ることはできません。

 

そこで足をのばし

京阪に乗って終点、出町柳へ

そこから叡電に乗り換え

 

 

鞍馬を目指します

 

 

丁度この電車は「カエデ号」

窓がとても大きく作られています。

電車が進むにつれて

市内の北の方は雪景色

 

 

これから鞍馬の山へ向かって

上がっていきます

 

 

ちょうど中間くらい

ここが彼女の出里でもあり

 

 

雪は更に多くなります

同じ京都とは思えない景色

 

 

この付近は秋のモミジが綺麗な所

そのモミジには雪が白い花のようです

 

 

もうすぐ鞍馬の駅です

 

 

鞍馬のまちは20センチほどの積雪

昨日の寒波で降ったのでしょう。

宇治でも-3度を記録

日中は日も照り気温も上がったものの

やはり鞍馬では気温も上がらず

雪が残っているようです。

 

 

鞍馬駅到着、

鞍馬寺はこの雪ではと諦め

ここからUターン、

出町柳からは京阪特急で丹波橋へ

 

 

今度新しくできたプレミアムカーに

 

 

シートもゴージャス

 

 

始発なので誰もいません

 

 

この席にゆったり身を沈めて

9分間の豪華な旅、

あっという間で丹波橋

そこから近鉄で小倉へ

いって帰って4時間余り

久しぶりの外出やはり疲れました。

でも

短いながらも面白い電車の旅でした

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇治市民大学・田端泰子先生

2018-01-13 16:29:07 | 住職の活動日記

京都橘大学名誉教授の田端泰子先生

「戦国時代の女性たち」

  ~お市の方~

ということでお話を聞きました。

田端先生は京都新聞の「天眼」に

寄稿されていて、

特に戦国時代の女性の生き様に

焦点をあてて書いておられ

面白い記事で、

今日は楽しみにしていた講座です。

 

 

読んでいる文章から滲み出る

お人柄そのままの方です。

 

 

レジュメも手書きで

ほとんどの先生方がパソコンで

書かれたり、プロジェクターを使い

という中で、貴重な資料です。

 

信長には男の兄弟11人

姉妹が7人と大家族です

その次男が信長、長女がお市です。

お市の方の浅井長政との結婚は

永禄11年(1568)お市22歳

その時、信長は35歳です。

 

1560年信長は桶狭間で勝利し

お市長政の結婚の前年

永禄10年に「天下布武」の宣言

そのような背景があっての結婚です

その翌年永禄12年(1569)には

長女「ちゃちゃ」(淀君)を出産

翌13年には「初」を生み

3年後の天正元年(1573)三女

「江」を生んでいます。

 

結婚の折、朝倉には手出しをしない

という「誓詞」まで書いているのに

天正元年(1573)8月には

浅井を滅ぼし、長政29歳で自刃

その時、

お市(27歳)と3人の娘は城をでて

信長の弟に預けられます。

ちゃちゃは5歳、初4歳、

江はまだ赤子ということです。

 

それから10年、

天正10年6月には本能寺の変

その後山崎合戦があり

清州会議の直前

お市の方は柴田勝家と再婚

3人の娘と北ノ荘城(福井)へ

9月12日には妙心寺で

お市の方が施主となり

信長の百か日の法要を営んでいます

 

しかし、

天正11年には勝家は滅ぼされ

お市の方は正室として自害、37歳

ちゃちゃたちは城外の秀吉のもとへ

その時の気持ちは

お市の方は勝家の正室として自害を

選択したということです。

それは

これより前の、天正6年(1578)

荒木村重の事件で

「れきれきの共々(家臣)

男女子供460計(ばかり)

家を二間つくり、そこへ追い込み

裏表よりやきくさをつみ

火懸けやきころさる」

ということがあったり、

 

元亀2年(1571)9月には

比叡山を焼き打ち

すべて焼き殺したす

ということへの

警鐘があったのではないか。

 

その一の方の精神は

淀殿にも受け継がれ

大坂城落城の折には

秀頼とともに自害、

母の生き方にならい千姫を

徳川方へ帰した。

ということです。

 

戦国の世にあって

女性としての生き様の中に

やはり平和を願い

あえて自害という形をとりながらも

その志を貫いたようにも思います。

 

 

それにしても、まあ

信長という方は本当にひどい

最近の発掘調査で分かったのですが

足利義昭のために二条邸を作った時

その土台の基礎にお地蔵さまの

石造まで使ったということです。

時代とはいえ

最近でも残忍な事件は起こりますが

信長の所業は目に余るものが

あるようです。

しかし、

こういう心も持ち合わせているのが

わしたち人間です。

そういう鬼の心は

私の心にもあるのです。

 

 

女性の生き方から見た

戦国の歴史

とても興味深いものでした。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お坊さんの結婚

2018-01-12 21:05:50 | 住職の活動日記

つい100年ほど前までは

一部の宗派を除いて

お坊さんは結婚しませんでした。

私を始め今は当たり前のように結婚

ホテルで祝宴まで開いています。

 

私も結婚の時

坊さんが結婚する意味と意義を

明らかにしなさい!

と言われつつ

若さの無分別で結婚してしまい、

今ではやっと意味もわかり

結婚してよかったと

つくづく思っています。

 

明治になると政府の方針で

「今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪

 勝手たるべきこと」

との布告により妻帯が許された

ということです。

一つには神道を国家宗教とするため

仏教の力を排除するという

思惑もあったようです。

 

それよりのちは堂々と結婚する

ということが当たり前になった

ということなのですが、

やはり考えるべき問題も

あるように思います。

今でもタイとかのお坊さんは

結婚はいたしません、

ですから、

他の国の仏教徒から見ると

日本のお坊さんは堕落している

と映るのかもしれません。

 

以前、上海に行った時

通訳の方が日本のお坊さんは

奥さんがいていいですね!

というのです。

何と言い返したらいいものか

一寸考えて、

奥さんと一緒にいると大変よ!

といういと

向こうも一寸考えて、

そう!、中国も女性が大変強い

ここでも奥さんをもらうの大変

と言っていました。

 

あるお祖師様はこのように

述べておられます。

「ひじりで申されずば、め(妻)を

 もうけて申すべし、

 妻をもうけてもうされずば、

 ひじりにて申すべし」

(独身で仏教を聞けなければ

 結婚すればいい、

 結婚して仏教を聞けなければ

 独身で聞けばいい)

と、問題はいかに求道するかと

そのことが一番の問題です。

 

聖書の中にもこういう問題が

若い弟子が結婚したいと申し出る

若いし止めよといえば

そのエネルギーはいらん方向へ行く

勧めても終末は近い

結婚生活は長くは続かないよ

しかし、

信仰生活ができるのであれば

結婚してもよし

でなければ止めた方がいいだろう

というように諭しています。

 

私には厳しく結婚の意味を

問う師匠が、

ある先輩には

結婚しなさいと厳しく言います

自分は学校を再建するのに

全力を注いで

そのことに集中しているが

自分が賭けるものを持たなかったら

それこそ何をしでかすかわからない

 

その時は

一般的な常識で、そうだ!

と思っていたのですが

今この年になって思うことは

結婚とは世間の修行

という一面を持っています。

 

一人の時は好き勝手にできたことが

妻をもらい子供ができると

一つの社会です

そこでは自分の我儘は通りません

自分の我を殺し

みなと共に協力するということが

求められて来ます。

 

自我の対治、

ということになると

これは滝の修行より厳しいかも

しれませんね!

滅私奉公です。

私を殺し家族のために生きる

そのことができて

初めて社会の為ということが

わかって来るようです。

 

十地経でも

「過」ということが出てきます

「あやまち」ということです

結婚生活とは自分のあやまちが

見つかる場所でもあります。

その過ちを見つけて

それを超えていく(出過)

その道程が無限に続いていく

もうこれでいいということはないの

です。

妻の指摘は容赦ありません

誰も指摘しなかったところを

見抜いて突いてきます。

であればこそ、

そこが自分がやっとこさ

人間になれる場所なのです。

 

ただ決められたカリキュラムを

行なっている南方のお坊さん

傍目には崇高で厳しいようですが

意外と楽なのかもしれません!?

 

どちらがどちらとも言えませんが

その境遇に於いて

自分のエゴがいかに潰されるか

そして、

いかに本当の自分が見出せるか

そこが焦点のようです。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

枯木寒巌(こぼくかんがん)

2018-01-11 21:06:17 | 住職の活動日記

「枯木寒巌」

枯れた木と冷たい岩

ということです。

 

今日は本当に冷えました

歩いていても体も暖まらないし

風は肌を指すようです。

 

 

古木が空に向かって

大きく伸びています。

 

枯木寒巌ということは

一つの悟りの境地を表す言葉です

世俗を超越した悟りの境地

を喩えてこういうことをいいます。

 

有名な話ですがこういう話がります

あるお金持ちの夫人が

立派な修行ができるようにと

お寺を建て毎日食事を作り

お世話しておった。

もう大分修行も進んだことだろうと

若い女性を連れてきて

お坊さんに抱きついて来いと、

するとその坊さんは

「枯木寒巌」と

さとりを開いているから

何がきても動じないと、

すると、

その夫人はこの糞坊主と

今まで私は何を世話したのかと

その坊さんを追い出してしまった

ということです。

 

それからこういう話もあります

坊さんが二人で修行の旅に出ていた

すると途中に大きな川があって

その川の手前で若い女性が

川を渡れずに困っている

すると一人の坊さんが

私がおんぶしてあげます、と

その女性を背をって川を渡って

向こう岸まで行った。

歩いていると

もう一人の坊さんが

何かぶつぶつ言っている

聞いてみると

おまえは出家の身でありながら

女性の肌に触れた、けしからん

といっているのです。

すると

背負った方の坊さんが

お前はまだ女性を背負っていたのか

川を渡るときは背負ったが

渡ってしまったらすぐに降ろしたよ

背負わんお前が

まだ背負っていたのか

という話です。

 

私たちで怖いのは

意識の執着です。

煩悩より困るのは執着という

問題です。

ものにたいする執着は

捨てたり失くしたりすれば

ある程度解決するのですが

意識の執着はなかなかとれません

ここで一番悩むのです。

 

先の話も

全てのものを自然(じねん)に見る

ということの

大事さを言うのでしょう。

べっぴんさんと言って抱きつくのも

どうかと思いますが

美しいものを見ても

美しいと感じない、のも問題です。

 

経典の中にも

「熾」(シ・さかん)という字が

出てきます。

火が盛んに燃え上がる

という意味です。

私たちの気持ちも

燃え上がってしまうと

夢中になって自分を見失う

ということがあります。

 

お釈迦さまの中道ということも

どちらにも偏らないということです

お釈迦さまの時は

「苦楽の二辺を離れる」

と説かれています。

苦楽ということもそうですが

私たちの意識も

何にも動じないというか

執着して偏ってみてしまうか

どちらかに偏った見方を

しているようです。

 

枯木寒巌と言って

さとりすまして

一切衆生を見ないのも

問題があるようです。

人々のことが気にかかる

人の問題が自分の問題だとする

そこに大事な意味があるように

思うのです。

 

二つの話ですが、

自分のこととして振り返ってみると

考えさせられる問題が

ひそんでいるように思います。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする