読んでいてちょっと衝撃的な文
「人生というものは解決がある
と考えていることが
大きな間違いじゃないかね」
なんだか、人生とは解決がって
悠々と死んで行けるのか
と思っていましたが、
解決はないのだと!
ビックリするような反面
ちょっと安心もするような…
仏さんということを
「何々し、もて行く」
という表現で道元禅師が
よく使われておられます。
さとりという所に
腰を落ち着けるんじゃない
さとったところからまた
修行していくという。
そこで、
英語に堪能な鈴木大拙先生は
ingという進行形で
表現しておられます。
「さとりing」というか
さとったという名詞ではなく
常に歩み続けるという進行形で
さとりということ表しておられる
つまり
さとりという到達点はないのでしょう
ということからすると
人生に解決はない
ということは頷ける気がします
何も考えなくなって
問題が無くなることではなく
常に問題を持ち続けて
考え続けていく
しかし、解決はない
解決がないのなら止めてしまうか
解決がないけど
問題を持ち続け考え続けていく
ということが大事なのです。
その問題の持ち方ですが
「隠居みたいな所におると
さあ、時間もあるし金もある
というようなことをいうと
その程度の求め方しかできない」
ということがあります。
ちょっとドキッとする文ですが、
住職を譲って
見ていると何かしら心配なような
けど、1年たち2年たつうちに
段々としっかりしてきている
それはどういうものかというと
あゝいう立場、寺の住職であり
菩提樹苑さらには沙羅の苑の経営者
という抜き差しならぬ立場に
身を置くということです
置くというと
その置いた身が立つような
道の求め方をしてくるのでしょう。
逃げ出す訳にはいけない
だからこそ
求め方も厳しくなってくる
そこに本物を見る眼が育ってくる
と思うのです。
ですから、『十地経』の読み方も
私の場合、隠居仕事の読み方
になってきているでしょう。
二進も三進もいかない所で
読んでいた時は
どこを開いても響くものが
あるのです。
ほんの一文でいい救いがあります
今は、
時間もあり、丁寧に書き写しながら
行きつ戻りつしながら
順を追って読んで行けるのですが
それは幸いなことですが
切羽詰まったものはないようにも
思うのです。
ただ、切羽詰まったといえば
限られた時間ということです
どこまで頭がもつか
仏道を求めた人といえども
認知症が出だした
ということも聞きます。
時間との勝負ということも
ありますが、
この経典の中から問題意識を
発掘して心を奮い立たせ
歩み続け、読み続けること
しかないように思うのです。