「御影供」と書いて「みえく」と読みます。
毎月21日は御影供といって弘法大師のご命日にあたります。
私が若い頃過ごした「東寺」というお寺にはこの日には「市」が立ち並び
何万人というお参りの方でにぎわいます。その出店の数は1400軒ぐらいで
店の数でも人出でも日本一です。
なぜ弘法大師のご命日を「御影供」と言うのでしょうか。
「影」という字が大事です。
「おかげさま」普通に使う言葉ですが、よく見てみると、
「かげ」という言葉に「お」という敬語と「さま」という敬語がサンドイッチになった言葉です。
ほとけさまそのものは見ることは出来ない。
しかし、その影としてほとけさまを感じ取る事が出来たのでしょう。
それでその影の働きに対してこの上ない感謝と畏敬の念を持って、
「お」と言う敬語と「さま」という敬語をつけて「おかげさま」といったのでしょう。
弘法大師その人にはもはや会うことは出来ない、しかし弘法大師のそのはたらきを
「影」として私たちは感じ取る事ができるのではないでしょうか。
今日もご縁のある方が集まっていっしょにお参りをしました。
その後少し法話をしました。
一緒にお茶を飲み、楽しいひとときを過ごしました。
毎月21日1時からお参りをします。
また一緒にお参りして、いろいろ語りませんか。
毎月21日は御影供といって弘法大師のご命日にあたります。
私が若い頃過ごした「東寺」というお寺にはこの日には「市」が立ち並び
何万人というお参りの方でにぎわいます。その出店の数は1400軒ぐらいで
店の数でも人出でも日本一です。
なぜ弘法大師のご命日を「御影供」と言うのでしょうか。
「影」という字が大事です。
「おかげさま」普通に使う言葉ですが、よく見てみると、
「かげ」という言葉に「お」という敬語と「さま」という敬語がサンドイッチになった言葉です。
ほとけさまそのものは見ることは出来ない。
しかし、その影としてほとけさまを感じ取る事が出来たのでしょう。
それでその影の働きに対してこの上ない感謝と畏敬の念を持って、
「お」と言う敬語と「さま」という敬語をつけて「おかげさま」といったのでしょう。
弘法大師その人にはもはや会うことは出来ない、しかし弘法大師のそのはたらきを
「影」として私たちは感じ取る事ができるのではないでしょうか。
今日もご縁のある方が集まっていっしょにお参りをしました。
その後少し法話をしました。
一緒にお茶を飲み、楽しいひとときを過ごしました。
毎月21日1時からお参りをします。
また一緒にお参りして、いろいろ語りませんか。
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