本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

有功用(うくゆう)無功用(むくゆう)

2021-01-16 20:30:11 | 十地経

第八地になるとこういう

有功用・無功用ということが

出てきます。

講義の時も「うくゆう・むくゆう」

と言われていて

その何とも不思議な言葉の響きに

ひかれて心に残っていた

言葉の一つです。

 

後になり漢字で書くとこうなる

ということが分かったのですが

第八地にでてくる「無生法忍」

ということと

同じように大事な言葉です。

 

漢和辞典には

功用コウヨウとして出てきます

この効用と同じ意味です。

普通には、働きとか役立つという

ような意味になります

また、てがらとか成績という

意味もあります。

ところが仏教読みになると

「くゆう」というようになり

身・口・意の動作の意味と

書いてあります。

 

さらに、仏教辞典では

身口意の動作をからず、

自然のままなる状態を無功用、

かような動作を用いる状態を

有功用という。

と出てきます。

 

経典では

「自然ジネン無功用行」

という言葉でも出てきます。

何か努力が要らない

というような意味でしょう。

それに対し

有功用というのはまだ努力を

必要とする世界

というような意味になります。

 

それで『十地経』では

第七地までが有功用行で、

第八地からが無功用行になる

ということです。

ですから七地以前を有功用地

ともいい、

八地以後を無功用地といいます。

 

たとえば、「行」でも

最初はあれをしてこれをしてと

一つ一つ覚えながら

努力の限りを尽くして

一生懸命やるのですが

それがやっているうちに

その行も身に付いてきて

身体の方が自然と動くように

なってきます。

これは身近な例で

『十地経』が言わんとするところと

少し違うかもしれませんが

もう、頑張ろうとか言う意識が

なくなってきて、

自然に身のこなしが出来てくる

というようなことと思います。

 

しかしながら

この話が出てきたのは

この講義のもうすぐ終わるという

ところなのです

ずっと、九割ほどは前の

「無生法忍」の続きで

前回の復習のように続いていて

終わる頃になって

「では今日の話は」

といって、

この新しい言葉が出てきました

しかし、

この有功用、無功用も

無生法忍と切り離して考える

ことが出来ないので

大きな流れとしては

ずっと続いている問題なのです。

 

たぶん次の講義で

有功用、無功用ということは

具体的な話が出てくると

思います。

「うくゆう、むくゆう」と

繰り返し仰っておられてました。

 

 

 

 

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