本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

障り ( さわり )

2010-04-05 21:53:47 | 住職の活動日記
 『 障 』 という字も仏教ではとても重要な言葉です。


 一般的には当院にもよく 「 何か、おさわり、がありませんでしょうか ? 」

というお尋ねを受けます。

 いろいろお聞きして、『 御祓い 』 をするのです。


簡単にはそれで終わるのですが、本来はもっと大事なことを含んだ言葉なのです。

たまには詳しくお話しすることもあります。


 先日の入学式で、

新入生の方々の心には 

『 よしやるぞ ! 』 という

新たな決意の心が起こったと思います。

ところが、今までついた怠け癖は簡単には取れないのです。

ですから、すぐにその決心の心は薄らいで、怠け心が頭をもたげてきます。

その心が障りなのですが、


 『 障り 』 ということも目的を持った人にしかわからない。

  ということがあります。


『 煩悩 』 ということも、

  「 自分にもたくさんの煩悩がありまして ? 」

と簡単に言ってしまいますが、本当はわからないのです。


 志を起こした、というと、今まで身についてきた 「 怠け癖 」 が

「 障り 」 となってくるのです。

その時、初めて、

これが自分を悩まし苦しめているものだ、

と知ることができます。


 人間には何かを得ると、

それに愛着して腰を落ち着けてしまという

悪い癖を持っています。

お金でもそうですが、得てしまうと、それを離したくない !!

という心が起こってきます。 当然なことです。

 物でもそうですが、心でもそうなんです。

人を好きになると、その心にとらわれて、他がまったく見えなくなってしまいます。

好きになった自分の心を愛着するのです。

 ( だから恋愛も成り立つのです。   )


 悟りでもそうなんですが、

悟ったと喜んでいると、その心に愛着してしまうのです。

そうすると、 『 悟り 』  という心がはたらきを失ってしまうのです。


 『 初発心時既に正覚を成ず 』  ということがあり、


志を起こしたとき、

その時に悟りが自分の心に来てるのであれば、

それでいいのでは ?

と思うのですが、

なにか一つの目的を持ってみると、

初めて 『 今まで身についた自分の怠け癖 』 が

『 障り 』 として感じることができるのです。


   しかし、


 『 障り 』 があったればこそ、

歩む、という 『 道 』 が成り立つともいえます。

 もし、障りもなければ、そこに安住してしまい、

最初に起こした 『 志 』 さえ失くしてしまいます。

目的を持って生活するということにおいては 

『 障り 』 ということはとても

大事なことに変ってきます。


 
お経には、

  『 彼の楽を対治する。』

という表現で出ています。


 どうか、新入生の方々には、『 怠け癖が出たとき 』 が、

自分にとって一番大事なときなんだ、ということを思い起こして、

楽になる方を選ばずに、

自分の怠け癖を対治するのだ! という心で

日々歩んでいただきたいと念じています。



 【 退治 】 鬼退治、というように暴力的に追っ払う

        場合はこの文字を使い、

 【 対治 】 智慧によって対治するときはこの字を使います。

        煩悩が満足して消えていく、というような表現を使いますが、

        例えとして、

        太陽が出たら、闇は消えていく、というような。 


    お経の場合は何でも厳密に考えてくるのです。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今週の言葉 4/5~4/11... | トップ | 『 仙崖さんもなか 』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

住職の活動日記」カテゴリの最新記事