『 障 』 という字も仏教ではとても重要な言葉です。
一般的には当院にもよく 「 何か、おさわり、がありませんでしょうか ? 」
というお尋ねを受けます。
いろいろお聞きして、『 御祓い 』 をするのです。
簡単にはそれで終わるのですが、本来はもっと大事なことを含んだ言葉なのです。
たまには詳しくお話しすることもあります。
先日の入学式で、
新入生の方々の心には
『 よしやるぞ ! 』 という
新たな決意の心が起こったと思います。
ところが、今までついた怠け癖は簡単には取れないのです。
ですから、すぐにその決心の心は薄らいで、怠け心が頭をもたげてきます。
その心が障りなのですが、
『 障り 』 ということも目的を持った人にしかわからない。
ということがあります。
『 煩悩 』 ということも、
「 自分にもたくさんの煩悩がありまして ? 」
と簡単に言ってしまいますが、本当はわからないのです。
志を起こした、というと、今まで身についてきた 「 怠け癖 」 が
「 障り 」 となってくるのです。
その時、初めて、
これが自分を悩まし苦しめているものだ、
と知ることができます。
人間には何かを得ると、
それに愛着して腰を落ち着けてしまという
悪い癖を持っています。
お金でもそうですが、得てしまうと、それを離したくない !!
という心が起こってきます。 当然なことです。
物でもそうですが、心でもそうなんです。
人を好きになると、その心にとらわれて、他がまったく見えなくなってしまいます。
好きになった自分の心を愛着するのです。
( だから恋愛も成り立つのです。
)
悟りでもそうなんですが、
悟ったと喜んでいると、その心に愛着してしまうのです。
そうすると、 『 悟り 』 という心がはたらきを失ってしまうのです。
『 初発心時既に正覚を成ず 』 ということがあり、
志を起こしたとき、
その時に悟りが自分の心に来てるのであれば、
それでいいのでは ?
と思うのですが、
なにか一つの目的を持ってみると、
初めて 『 今まで身についた自分の怠け癖 』 が
『 障り 』 として感じることができるのです。
しかし、
『 障り 』 があったればこそ、
歩む、という 『 道 』 が成り立つともいえます。
もし、障りもなければ、そこに安住してしまい、
最初に起こした 『 志 』 さえ失くしてしまいます。
目的を持って生活するということにおいては
『 障り 』 ということはとても
大事なことに変ってきます。
お経には、
『 彼の楽を対治する。』
という表現で出ています。
どうか、新入生の方々には、『 怠け癖が出たとき 』 が、
自分にとって一番大事なときなんだ、ということを思い起こして、
楽になる方を選ばずに、
自分の怠け癖を対治するのだ! という心で
日々歩んでいただきたいと念じています。
【 退治 】 鬼退治、というように暴力的に追っ払う
場合はこの文字を使い、
【 対治 】 智慧によって対治するときはこの字を使います。
煩悩が満足して消えていく、というような表現を使いますが、
例えとして、
太陽が出たら、闇は消えていく、というような。
お経の場合は何でも厳密に考えてくるのです。
一般的には当院にもよく 「 何か、おさわり、がありませんでしょうか ? 」
というお尋ねを受けます。
いろいろお聞きして、『 御祓い 』 をするのです。
簡単にはそれで終わるのですが、本来はもっと大事なことを含んだ言葉なのです。
たまには詳しくお話しすることもあります。
先日の入学式で、
新入生の方々の心には
『 よしやるぞ ! 』 という
新たな決意の心が起こったと思います。
ところが、今までついた怠け癖は簡単には取れないのです。
ですから、すぐにその決心の心は薄らいで、怠け心が頭をもたげてきます。
その心が障りなのですが、
『 障り 』 ということも目的を持った人にしかわからない。
ということがあります。
『 煩悩 』 ということも、
「 自分にもたくさんの煩悩がありまして ? 」
と簡単に言ってしまいますが、本当はわからないのです。
志を起こした、というと、今まで身についてきた 「 怠け癖 」 が
「 障り 」 となってくるのです。
その時、初めて、
これが自分を悩まし苦しめているものだ、
と知ることができます。
人間には何かを得ると、
それに愛着して腰を落ち着けてしまという
悪い癖を持っています。
お金でもそうですが、得てしまうと、それを離したくない !!
という心が起こってきます。 当然なことです。
物でもそうですが、心でもそうなんです。
人を好きになると、その心にとらわれて、他がまったく見えなくなってしまいます。
好きになった自分の心を愛着するのです。
( だから恋愛も成り立つのです。
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悟りでもそうなんですが、
悟ったと喜んでいると、その心に愛着してしまうのです。
そうすると、 『 悟り 』 という心がはたらきを失ってしまうのです。
『 初発心時既に正覚を成ず 』 ということがあり、
志を起こしたとき、
その時に悟りが自分の心に来てるのであれば、
それでいいのでは ?
と思うのですが、
なにか一つの目的を持ってみると、
初めて 『 今まで身についた自分の怠け癖 』 が
『 障り 』 として感じることができるのです。
しかし、
『 障り 』 があったればこそ、
歩む、という 『 道 』 が成り立つともいえます。
もし、障りもなければ、そこに安住してしまい、
最初に起こした 『 志 』 さえ失くしてしまいます。
目的を持って生活するということにおいては
『 障り 』 ということはとても
大事なことに変ってきます。
お経には、
『 彼の楽を対治する。』
という表現で出ています。
どうか、新入生の方々には、『 怠け癖が出たとき 』 が、
自分にとって一番大事なときなんだ、ということを思い起こして、
楽になる方を選ばずに、
自分の怠け癖を対治するのだ! という心で
日々歩んでいただきたいと念じています。
【 退治 】 鬼退治、というように暴力的に追っ払う
場合はこの文字を使い、
【 対治 】 智慧によって対治するときはこの字を使います。
煩悩が満足して消えていく、というような表現を使いますが、
例えとして、
太陽が出たら、闇は消えていく、というような。
お経の場合は何でも厳密に考えてくるのです。
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