本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

生・〇・病・死

2021-01-15 20:38:02 | 住職の活動日記

普通は「生老病死」ですが

これから先「老」が病に加えられ

生病死となるかもしれません。

 

生老病死ということも

お釈迦さまが悟られた「四苦」で

生苦・老苦・病苦・死苦

ということです

またこのことは

いのちあるものはすべて

生まれて、老いて、病を患い

死んでいくという

生物の命の流れです。

このことをお釈迦さまは

苦として捉えられたという

ことです。

 

先日のテレビ番組ですが

ハーバード大学のシンクレア教授

山中教授のIPS細胞から

老化を防ぐという物質を見つけた

ということです

老化のメカニズムを見つける

手掛かりを発見された

ネズミの実験で視神経が再生する

ということに成功されたのです

それで、老化は病気である

と仰っています。

 

眼科に行けば分かるのですが

よく言われるのは

もうよくなることはありません

これ以上悪くならないように

薬で押さえるしか方法が

ありません、

ということです。

人間の細胞で視神経だけは

再生不可能ということですが

IPS細胞を使って

再生することに成功された。

 

ふと心配になるのは

それでは

人間はずっと生き続けるのか

ということですが

そうではなく、

終末期医療費の削減になると

最後の時まで元気でおれると

いうことで、

よくいわれるPPKです

ピンピンコロリ

よくボケ封じとかのお寺に行くと

どうか、ピンピンコロリで

亡くなりますように

ということが書いてあります。

だれしも願うところでしょう。

 

ところが、

外国の人に尋ねると

突然死より癌とかの宣告を受けて

死に備える方がいいと

おっしゃっています

日本人は断然、ぽっくり逝く方が

いいといいます。

死ということの捉え方の違いです。

 

しかし、

死ということを経験した人は

一人もいません

死ぬだろうという思いだけは

あるのですが

死を経験することはないのです

経験するときには死んでいます。

 

シンクレア教授によると

老化は病気であって

それは治療可能であると

そうすると

いのちというものは

生まれて、病気して死を迎える

老いていくということが

なくなるわけです。

 

この年になってくると

複雑なもので

周りで身近な人が亡くなると

次は自分なのかと

思ってくるし、

ふと元気にしていると

気持ちだけは昔のままで

「気持ちは二十歳よ!」

と、大叔母が言ってたように

そのような気分に

なってしまいます。

楽しかったり元気ですと

いつまでのこのままでいるような

ところが何かの拍子に

病気でもするともうだめと

塞ぎ込んでしまったりしてしまう

ものなのです。

 

そうすると

老いというものは病気として

治療できるかもしれませんが

如何せん、「老い」という気分

だけはどうすることも

出来ないのかもしれません。

 

テレビに出ておられる玉川さんの

父親は毎日の日課で散歩に出て

ご飯食べてこたつでゆっくり

していたら、

そのまま亡くなられた

ということです。

しかし、老いという気持ちだけは

なくならないのでは

ないでしょうか。

 

「老苦」というのは

このことをいうのでしょう。

老いは病気として治療できても

老いていくという実感だけは

どうすることもできない。

何とも不思議な

気持ちの日々なのです。

 

『老いなき世界』

という本を書いておられます

シンクレア教授です

読んでみたいと思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宗教心というものは… | トップ | 有功用(うくゆう)無功用(... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

住職の活動日記」カテゴリの最新記事