本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

自分を感動させる言葉に耳を傾ける

2023-07-16 21:18:13 | 十地経

教えを聞く、

そういう縁によって

自分の中にあったものが

目覚めてくるという

そういうことが

「開発」(かいほつ)だと

いうことだったのです

その続きで、

 

「それだから、

自発自展だから他に

教えられる必要はないという

意味ではないんであって、

自発自展するから他に

教えられるということの

意味ができてくるんです。」

 

自発自展という

この言葉はあまり見かけ

ないのですが

教えを聞き自分で発起して

その教えが自分のなかで

展開していくという

そういう意味だと思います

 

「自発自展のままが

先生にたまわったんです。

教えられるということと

自発性ということは

これは矛盾せんでしょう。

他に教えられる

ということを縁として、

自分みずからが

目覚めていくんです。

 

だから、

他に教えられるということが

声聞なんだ。

自分みずからが目覚める

というのが独覚なんだ。

他を縁として

自分に目覚めてくると。

こんな構造が … 。

 

他からね、

こういう具合になるでしょう

他からの言葉を絶えず

繰り返しておるんです。

 

まあ、文章書いてみると

よう分かりますが、

自分の書いていることは

妄想みたいなもんなんだ。

引いた言葉の方が

光ってしまう。

だからそういう言葉を

何遍も、

こう繰り返すと。

 

むしろ

自分の意見なんか捨てて

自分を感動させる言葉

というものに耳を傾けていく

何遍も。

そうするというと

他の言葉が自分の言葉に

なるんです。

 

他の言葉を何遍も、

こう、

繰り返し反復する間にですね

それが自然に

自分の言葉になるんです。

自分の言葉になるというと

自分の言葉で自分が、

聞くのも自分だし、

言うのも自分だ。

 

自分が自分に言い聞かせるし

自分が自分から教えられる

それが自己教育というもんだ

それは独覚なんです。

 

他の言葉を自分が

聞いとったんだけど、

その言葉を

反復していくというと、

今度は他の言葉が

自分の言葉になる。

 

すると

自分の言葉を自分が聞くんだ

自分が自分に教えられてくる

とうことになる。

そうすると独覚でしょう。

こういう構造がね、

まあ非常に大事な … 。」

 

やはり感動した言葉に

耳を傾け

それを何遍も繰り返す、

そういうことが

聞法ということのように

思います。

 

 

 

 

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