本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

もしかして、アダムとイブはB型…?

2016-12-13 20:56:23 | 住職の活動日記

血液型で性格がわかると、

幼稚園である実験が行われました。

園児たちを血液型ごとに分けて、

教室の中で先生が、

この箱を開けてはいけませんよ!

といわれ、

他の園児さんだけは興味を

示さなかったのですが、

B型の子供はすぐに箱の中を覗いて

何食わぬ顔をしていました。

 

エデンの園で神から

このリンゴの実を食べてはいけません

といわれながら、

イブの方が蛇にそそのかされて

リンゴの実を食べ、アダムも

食べてしまいます。

それで楽園を追放され

それが人間にとっての原罪

といわれています。

 

 

クリスマスを間近に控え

いたるところでクリスマスツリーを

見かけます。

 

 

このモミの木に吊るされている

赤や金色や色とりどりの玉は

アダムとイブが食べたリンゴを

象徴しているということのようです。

 

ところで、宗教ということを

考える場合、

罪ということが罪をどうとらえるか

そういうことが問題になってきます。

 

アダムとイブも、

その実を食べてはいけない

ということを知っていたから

それが罪ということです。

なにも、

リンゴが罪という訳ではありません

もしカラスが飛んできて食べても

じゃあ、カラスが罪を感じるか

といえば、そうではないと思います。

 

祓ってとれる罪、

という認識であれば

その罪という自覚は浅いものです。

罪を犯して、償ったから罪は消えた

というものではないと思います。

 

真言宗中興の祖といわれる

覚鑁上人(かくばんしょうにん)

高野山の中で迫害に遭い

無言の行を続けて

書き上げられたものが

「密厳院懺悔発露文」

という短い一文です。

今でも真義真言宗の僧侶が

行を成満して覚鑁上人の

御廟の前で、密厳院懺悔発露文

を唱えられるということです。

その時には全員が涙して

唱和されると聞きました。

 

その密厳院懺悔発露文の

最後の言葉が、

「我皆な相代って

尽く懺悔したてまつる

更に亦、その報いを受けしめざれ」

と結んでおられます。

 

全部、自分が皆の罪を引き受けよう

ということです。

この懺悔文は他の坊さんの諸行を

非難されているわけではなく、

代受苦というか、

他の人に罪がいかないよう

自分が全部背負うというのです。

 

よくはわかりませんが、

キリストが十字架に架かられた

ということは、人類の罪を

自分が皆に代って引き受けよう

ということでしょう。

 

経典には「無生法忍」という

言葉が出てきます。

忍という字は堪え忍ぶという意味

もありますけど、

言遍をつけて、認識の認という

智慧という意味合いを持った

言葉でもあります。

 

私たちの住んでいる世界を娑婆

といいます。

サハーという言葉を音写したもので

訳すれば「忍土」

堪え忍ぶところという意味をもっています。

ただ頑張って耐えるのではなく、

認という智慧がなかったら

この娑婆世界は渡れない

ということでしょう。

 

その娑婆の苦難を自らが背負う

というところに、

代受苦というような、

覚鑁上人の

「その報いを受けしめざれ」

という、大きな勇気のようなものを

感じます。

宗教も『罪』ということをどう捉えるかで

大きく変わってくるように思います。

罪ということの自覚のないような宗教は

それこそ問題なのではないでしょうか。

 

人間の原罪の元になった

リンゴが赤やら金色やら銀色の

美しい玉に代って

デコレートされているということは

なんとも気楽なような気もしますが

アダムとイブが食べたリンゴ

ということが、

何らかの形で残っているのは

まだいいことかもしれません。

 

 

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