本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

初歓喜地から

2024-05-14 19:37:07 | 十地経

先生の講義も第七地まで

これから八地かと思いきや

また、初地の話にもどり

仰るように

直線的に進むのではなく

行きつ戻りというか

円を描くように進んでいく

のが特徴です。

 

十地の内容も

初歓喜地に始まり

第二地が離垢地(りくじ)

 煩悩の垢を除く、

 戒律の問題です。

第三地が明地(みょうじ)

 明は智慧です

 願が展開するという

 願が満足した願になる

これから、

第四地になるんですけど

名前だけは、

 

第四地は炎地(えんじ)

 智慧の炎が煩悩を焼く

 という

第五地は難勝地

   (なんしょうじ)

第六地が現前地

   (げんぜんち)

第七地が遠行地

   (おんぎょうち)

第八地が不動地

   (ふどうち)

第九地が善慧地

   (ぜんねち)

第十地が法雲地

   (ほううんち)

となります。

 

講義は

「願が増上して

『法明を得る』という。

智慧が出てくる。

法に対する智慧が出てくる

だから明地というんです。

第三を明地という。

明というかたちで菩提分法

を具足すると。

 

それから第四は、

『道に入る』と。

道に入るからして、

菩提分法を具足する。

道に入るということは、

出世道に入るという意味。

出世の道に入る。

 

これは、第三地が、

願が増長して法明を得る

というなら、

今度は第四地は行になるん

です。

出世の道に入る行が完成

してくる。

そういう意味で、

菩提分法を具足すると。

 

第五地はというと、

『随順して世間法を

 行ずる』。

第四地が道、

出世の道に入ったんだ。

で、第五地は、逆に

世間の道に入る。

出世の道を得たけど、

世間をやめたんではない。

 

世間を超えたが故に

世間によく入る。

こういうわけだ。

出世の道というものを

満足したら、

それによってかえって、

出世の道でも出世の道に

縛られずに、かえって

世間というものに入る力を

得てくると。

 

世間をやめたんではない。

まあ、世間から、

汚れた世間から手を洗う、

こういうんじゃないんだ。

 

きれいになったから

何ぼでも汚れていくという

だからもう

無限に汚れても、

汚れることを恐れん。

こういうような世界を

開いていくのが、第五地と

いうものだ。」

 

なかなか、

思い当たるところです。

世間を出て出世間になれば

それでいいのかというと

そうではなく、

かえって世間というものに

入る力を得てくる。

これは、坊さんが結婚する

ということにもかかわって

くるようです。

 

こういうことが

はっきりしないと

出家したのに

何故家庭をもつのかという

問題が解決しないと

思います。

 

よく師匠の三浦先生から

言われたことは

結婚したからといって

何もできないというのでは

だめだと。

何でもできる。

掃除、洗濯、洗い物も

世間的なことが全てできる

そういう坊さんに

なりなさい。

 

このところは

なかなか厳しい問題です

特に私たちにとっては

出家して

汚れた世間から逃げていく

というのではなく

汚れることを恐れん、と

 

まあ、

そういう話しでしたが

汚れることを恐れん

といっても、

ミイラ取りがミイラになる

そういって

すっかり汚れてしまっては

元も子もありませんから。

 

講義の後

そういうことで話しに花が

咲いたものです。

よく考えなければいけない

問題です。

 

 

 

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