普通は 「 知恵 」 と書きます。
ところが、お経の中では 『 智慧 』 と書いてあります。
「 おばあさんの知恵袋 」 というような
知恵と区別する意味で、 あえて 『 智慧 』 と
表現したのでしょう。
しかし、
「 玄奘三蔵 」 三蔵法師はそのことばさえ
翻訳しなくて、
『 般若 』 ( ハンニャ ) と
音写したのです。
インドの 「 プラジュニャー 」 サンスクリット、
これが、方言のパーリー語になると、
「 パンニャー 」 と発音しますから、
この言葉が 『 般若 』 となったのでしょう。
三蔵法師も訳さなかったくらい、
「 智慧 」 ということも、幅広い意味を持つのでしょう。
厳密には、
『 智 』 を 「 ジュニャーナ 」
『 慧 』 を 「 プラジュニャー 」
というように分けて考えます。
辞書には、
『 智は慧の中に摂せられる 』 と書いてあります。
そして、
「 慧 」 の働きとして、
「 見 」 ( けん ) ・ 「 忍 」 ( にん ) と 「 智 」
の三つを上げています。
「 見 」 おしはかること ( 推求、 推度すいたく )
◎ お経の中では 「 度 」 は幅広く、
得度の度はサンズイが取れた 「 渡 」
ここでは、「 たく 」 と読みます。
計度とかいて、ケタクという言葉もよく出てきます。
考える、分別する、という意味です。
「 忍 」 認めてよしと許すこと ( 忍可 )
◎ 「 忍 」 という字も、ただ我慢して忍びなさい、
というだけでなく、その根底にはゴンベンが付いた
「 認識 」 の 「 認 」 が必要ということです。
忍ということも智慧の働きというのは面白い。
「 智 」 はさらに進んで疑いなく明瞭に断定する。
というように辞書には書いてありますが、
それだけ幅広い意味を含んでいるので、
単に 「 智慧 」 と翻訳せずに、
『 般若 』 と音写したのでしょう。
朝からそんなことが気になっていました。
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