本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

何故学ぶのか

2019-09-27 18:00:38 | 十地経

 

十地経講義の中で

何回読んでもハッとする一文

ここが原点なのかもしれません。

 

「人間は自己にかなうものだけ

 要求するんでなしに、

 自己を否定するものするものまで

 要求する。

 自己を否定するものなら

 逃げそうなもんだけど

 逃げたい気持ちで近づく。

(そういう立場が)

 学生(がくしょう)

といわれるものでしょう。

 人間というものが、

 これでいいんだ、

 ということでなしに

 本当に何か問題を持った場合に

 それが学生となる

(それが本当の人間の構造)

 人間が最も人間的である場合が

 学生である。

 仏教ではその学生を

 声聞・縁覚・菩薩という。

 

という一文です。

さとりということも

ある人に起きてある人には起きない

というものではなく

人間の本質的なあり方として

学生という立場になれば

だれでも起こりうることなのでしょう。

 

平安時代を支えた仏教に

最澄の天台宗と空海の真言宗があります

共に教育ということに注目され

それぞれの立場を明らかに

されています。

 

最澄の

「山家学生式」

(さんげがくしょうしき)には

「国の宝とは何物ぞ

 宝とは道心なり。

 道心ある人を名づけて

 国宝となす。

 故に古人曰く、

 経寸十枚これ国宝にあらず

 一隅を照らす

 此れ即ち国宝なりと。」

といわれています。

 

また空海は

「綜芸種智院式序」

(しゅげいしゅちんしきじょ)

に、

「物の興廃は必ず人に由る

 人の消沈は定めて道にあり」

と述べておられます。

 

こういう仏教の根本問題を

明らかに述べておられます。

分かり切ったように過ごしていますが

本来は国宝といっても

物ではなく

道心という求道心でしょう。

 

本当はこういうことを学ぶために

修行に励むのです。

 

ふと忘れてしまいますが

原点の言葉だと思います。

 

 

 

 

 

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