本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

百花為誰開

2019-04-05 20:55:53 | 住職の活動日記

近くに「井川」という

小さな川が流れています。

その河沿いには桜並木で

今が見ごろ、

一番美しい時です。

 

 

この川も一級河川ですが

元々は井川水路で

巨椋池干拓に用いられたものです。

 

 

絶好の穴場といっていいほどですが

周りのロケーションが悪いせいか

あまり人気がないようです。

祇園の白川沿いですと

人が多すぎてライトアップも

中止にするか悩みの種のようです。

 

 

ここはおかげさまで

ゆっくりと花を楽しむことができます

 

 

空の青さと対比して

美しさが際立ちます

 

 

目の前に迫って来るように

花開いています

しかし、

 

 

傷んでいる木もあります

このように苔のようなもの

カビかも知れませんが

とても息苦しそうに見えます。

 

 

小山園のショウウインドウには

「百花為誰開」

という言葉が掲げてあります。

「百花誰のために開く」

ハッとする言葉です。

 

人に見られようが見られまいが

木のハタラキとして

桜は見事に花開いているのです

「為(ため)」

のない世界に生きるのが

本当の姿なのです。

何々のため、と

為を付けたがるのが

私たちですが

本当は為のない世界に生きて

いるのでしょう

 

しかし、

ただ飯食って仕事して遊んで

名誉や金に振り回されて

それでいいのでしょうか?

 

鳥が飛んだ。

その事実はあるのですが

跡形も何もない

 

では何もしなくてもいいのか

他の生き物たちは

生きるために一生懸命です

何の計らいもありません

しかし、

人間はその構造として

生きる意味を見出さないと

生きることができないのです。

何の為ということはありませんが

生き方の在り方として

ほとけ・ぼさつ、という

在り方があるのです。

仏という存在が別にあるのでなく

人間の在り方として

仏という存在がある

というより、

仏というあり方を

見出してきたのでしょう。

 

為はないのですが

人間とは修行の道程にある

というあり方が

その本来の在り方のように

思います。

 

花は誰が見ようが見まいが

精一杯咲く

それを感じ取る私たちに

問題があるのです

悲しい時にはどんなに美しい花を

見ても美しくはないでしょう

悲しい花に見えてしまいます

月を見ても青くもの悲しげな

月に見えてくるでしょう。

心が豊かな時には

花は語りかけてくれます。

 

 

天気は良かったのですが

時折強い風

春一番でしょうか?

この小さなタンポポたちも

風が吹くたびに頻りに

頭を揺らしていました。

 

 

 

 

 

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