本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

御堂は照る照る、御門は曇る、家に帰れば雨あられ

2024-06-03 20:09:21 | 十地経

こういう歌があるのですが

お寺に行ったりして

お話を聞く、その時は

何となく、そうだ、そうだ

と頷くのですが

お寺の門を出る頃になると

いい話だったけど

果たしてそうかなと

ちょっとした疑いの心が

出てきて

家に着く頃には

話しはそうだけど現実と

なるとそうはいかんよねと

すっかり元の木阿弥と

いう事になりかねません。

 

ある人が、

お話を聞いている時は

なるほどとよく分かるのに

家に帰るとすっかり忘れ

元のようになってしまう

どうしたものでしょうか

と聞いたそうです。

 

するとその答えが

あなたの頭はざるのような

もので、水に浸けている時

は一杯入っているのです

ざるを上げると

水は全部出てしまう。

そのようなもので、

そしたら

ざるを水の中に浸けて

おけばいいというのです。

 

つまり、

時たま聞くだけでは

教えもすぐに落ちてしまう

私たちの頭も

教えの中に浸りきりに

なれば忘れることもない

ということです。

 

その反対で

よく先生はパチンコの話を

されるのです。

何も、

パチンコが悪いのではない

パチンコばかりしていると

頭がパチンコ的な頭になる

そこが怖いというのです。

 

現代の

功利的な考えからいうと

自分のノルマさえ上げれば

後は遊んでいてもいい

という事になるのですが、

理屈からいえばそうとも

言えますが、

ところがそうはいかない

もので、

虎視眈々と狙っていてこそ

チャンスは生まれる

ものです。

 

また講義では

「パチンコへ行っていても

ですね。

パチンコへ行くのは

菩提心があるから行くんで

菩提心があっても

それが成就せんでしょう。

 

えーい、やけくそだって、

やけというのは、

純粋だからなんです。

純粋なものを持っとるん

だけど、純粋がどうも

展開せんのです。

まあそれは、あきらめる

というわけにかんもんだ。

 

それで、

もうパチンコぐらいで

ごまかすというような、

そういう具合になるんじゃ

ないかと思うです。

パチンコみたいな、

そんなとこいかんというの

は、そりゃよっぽど悪党や

はや、古狸ですね。

 

年寄りですね、

そろばん弾いとるのは。

算盤なんかあわんでも

行かずにおれんというよう

な、そういうところに、

これは。

 

年寄り行っとるんか、

パチンコ、どうやね。

僕はのぞいたことがない

から、行っとるんかね。

 

〈あれは純粋な年寄りが

 行ってます〉。

 

行っとるんか。

そうかも知らんね。

まあ青年とか老人とか

いうのはね、

この普通の生理的な意味

じゃなしにね、

がありますから。

 

だからして

全然宗教心がないという

人はないと思うんです。

人間そのものの構造だと

思うんです。

宗教心のない人というのは

ないもんだ。

ただ、それがみんな

何か他のものに、

覆われとるんだと

思うんです。」

 

あるとき、講義の席に

お酒に酔って来られました

一番前の席に陣取り

しばらく

聞いておられたのですが、

どうにも睡魔には勝てず

「先生今日は帰ります」

と、

席を立っていかれました。

なんと失礼な、

と思ったのですが、

「あの君は純粋だからね

酒でも飲まずには

おれんのでしょう。」

と言っておられました。

 

先生の人を見る眼の深さに

驚いたことがあります。

 

まあ、寝ても覚めても

考え続ける、思い続ける

というのが第七地でしょう

 

 

 

 

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