本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

因分可説 果分不可説

2023-06-27 20:10:46 | 十地経

因分可説(インブンカセツ)

果分不可説(カブンフカセツ)

という言葉があります

『十地経』にでてくる

言葉です

辞書を見ると

「因分」

分は分斎ブンサイ(けいじめ)

の意味で、

(分斎は分際とも書きます)

因の範囲を因分、

果の範囲を果分という。

世親の十地経論には

因分は果分の一部分を

あらわすものとする。

というようにありますが

 

果というのは仏の世界で

因というのは仏になる因

ということで私たち人間を

表しています

また、果の世界は

仏果を悟った身分でなければ

知ることができない、

ともあります

 

講義では

「仏智の世界、

仏と仏だけがうなずき合う

世界だ、

これは

仏は仏でなければ

うなずけんと。

菩薩が仏にうなずいたら

そのときには

その菩薩は仏だと、

こういう意味です。ね。

 

『十地経』の序文に、

その偈文の中に …。

華厳に一つ、因分可説

ということがある。

果分不可説と。

このように

因分可説、果分不可説と

いうような言葉、

これが後の華厳の教学に

とっても大事な意味に

なっておりましてね、

これは『十地経』から出た

んです。

 

『十地経』は二菩薩の対話

です、対話編です。

金剛蔵菩薩と解脱月菩薩と。

金剛蔵は因を表すね。

因の菩提心を象徴しています

解脱は果を表す。

解脱涅槃のね。」

 

この金剛ということは

金剛はダイヤモンドです

何ものにも壊されない

という、

金剛不壊ともいいます

私たちがもっている

菩提心は何ものにも

壊されることがない

ということです

そういうことを

金剛の蔵という表現は

なかなかいいですね。

 

それから

ちょっと分からないのが

「それが解脱の方が問うて

因の方が答えるという

形ですね。」

因の方が問うて果の方が

答えるというのなら

分かるような気がしますが

果が問うて因が答える

 

「二菩薩の対話がって、

仏は沈黙しておると。

これが華厳の構造だ。

これは大乗の初転法輪

なんだ。

小乗にも初転法輪がある

のですが、阿含の中に。

それに対して「十地経』と

いうのもはやっぱり、

大乗の初転法輪経と

いうような、

そういう一つの大きな確信

です。

そういう経典精神という

ものに立っとるんです。

 

それで、仏伝という、

仏陀の伝記ですね。

菩提樹下で悟りを開いた

悟りの間は沈黙しとった。

三七日、三週間。

そして自受法楽ジジュホウラク

といってね、

自分の悟った法というものを

自ら受用しとった。

自ら、自らを受用しとった。

 

なで回しとったんです、

これはこれはと。

自分の悟りというものが、

自分が悟りながら

よくもこれで悟れたと

いうことをですね。

なで回しとったんだ。

 

なぜかというと、

自分において初めて

人類の迷いというものが

打ち切られたからだ。

これは

どういう意味かというと、

何が迷わしとったかが

分かったんだ。

 

なぜ人間は迷ってきたか

なぜ迷わしているかが

分からんのですよ。

迷っていることは

分かるけどね、

どこにその迷いの根元が

あるか分からんのです。

 

だから悟ってみようがない。

だからあれに迷い、

これに迷い、

あっちの話聞いたり、

こっちの話聞いたりして、

うろうろしとったんです。」

 

まあ、うろうろしていた

というのはよく分かります

なかなか、これしかない

というところまでは

迷うものです。

時間が迫ってくると

あれもこれも言っている

間がなくなってきて

せめて

「十地経講義」だけでも

書き写し

読んでしまわなければ

という思いになってきます。

 

先はまだ遠い

でも、まだやることがある

ということは

楽しくもあります。

 

 

 

 

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