「小乗の教学に対して、
大乗の教学があると
こう考えるよりも、
大乗は何か精神というものを
表しているのではないかと
思うんです、仏教のですね。
そこで非常に面白いのは、
この法蔵菩薩というような
こともそうですし、
善財童子というのも
『華厳経』ではありますが、
そのときに、
非常に有力になったのは、
ジャータカですよ。
これは本生譚ホンジョウタン
本生説話という。
まあ、今でいう、童話です。
メルヘンといってもよい。
これが非常に
えらい力になるんだ、
教理よりも。
教理ではもう精神を失うが、
精神を回復するときには
教理の上に教理を重ねると、
屋上屋を重ねたのでは
精神は回復せんのです。
理屈によって精神を
失っているんだから、
かえって
童話といったようなのもが
非常にいい。」
このジャータカというのは
本生説話といって
お釈迦さまの前世の物語です
その説話は500ほどあって
有名なのは
「月のうさぎ」という物語で
狐と猿とウサギが仲良く
暮らしていた
そこに修行者がやってくる。
兎たちは何か施しを
しなければと、
それぞれに何か持ってくる
のですが
ウサギは施すものが何もない
そこで修行者に
火を熾してもらい
私は施すものが何もないので
火の中に飛び込むので
私の肉を食べて下さいと
飛び込んだところに
修行者は帝釈天に変わり
兎を抱きとめます
その功徳をたたえて
須弥山をぎゅっと絞り
その出てきた汁で
月にウサギの姿を描いた
という物語ですが
その兎はお釈迦さまの
前世であったという。
そういう物語です
同じようなことに
やはり聖徳太子も感動され
玉虫厨子の両扉に
施身聞偈セシンモンゲ
という物語と
捨身施虎シャシンシコ
という物語を描かれました。
この物語もジャータカの中に
含まれています
施身聞偈という
教えを聞くために自分の身を
羅刹に施すという
この話は何となく分かる
のですが
もう一つの
捨身施虎という
飢えたお母さん虎に
自分の身を食べさせるという
理解しがたい物語ですが
その身を施した薩埵太子が
お釈迦さまの前世だった
というのです
お釈迦さまがさとりを
開かれたのは
一代の修行くらいではなく
前世から繰り返し繰り返し
修行を積まれた賜物だと
いうことなのです。
施身という
布施の中でも身を施すという
そういうことが
理屈を超えて人びとを
感動させるのでしょう
論とかをいくら重ねても
答えは出るものではなく
本当の仏教精神というものを
伝えるのは
こういう説話、童話が
失っている精神を
回復させるのでしょう。
聖徳太子もこの二つの物語を
描かれたのは
そこに大きな意味があるよう
に思うのです。