転法輪(てんぼうりん)
法輪を転がす、
今日、散歩の途中で見かけた
法輪の形
お寺の正面の壁に
掲げてあります
パッと見れば普通のビル
レンガ造りの
しかし、
ここにもお釈迦さまの教えが
あるのですよと
言わんばかりに輝いています
やはり、お寺には必ずと
いっていいほど
この宝輪の形があります
仏教の教えの象徴なのです
この法輪の輪というのは
宝輪のことでもとは武器です
あらゆる障礙を
打ち砕いていくということで
武器の中でも最上のもの
投げると回転し
すべてのもをなぎ倒して
いくというものでしょう
インドの映画それも時代物に
よく出てきます
煩悩を砕波するということで
象徴的に武器を使っています
独鈷というのも五鈷杵も
やはり武器です
この最高の武器、宝輪を
お釈迦さまの説法に喩え
説法があらゆる人々の
煩悩を砕き目覚めさせる
ということなのでしょう
初転法輪といのは
お釈迦さまが
最初に法を説かれたという
ことです
初めて法輪を転がした
ということです
この場所が鹿野園ロクヤオン
というところで
説かれた相手は
五人の比丘といって
お釈迦さまが出家された時
影からずっと見守っていた
5人の人です
初めは、
お釈迦さまは苦行をやめて
スジャータから乳がゆを
いただかれたので
そのことを見て離れていった
しかし、
お釈迦さまにとって
最初に伝えるべき人は
この五人の人達だと
説かれた内容は
「四諦」の教えです
苦・集・滅・道という
この世は苦である
苦の因は求めて飽くなき
我執の集まりであると
ではいかにして
その苦を滅するのか
というと
道というのは、
八聖道という方法があると
簡単にはそういう内容です
講義の中に
「自受法楽」とあります
自分の悟った法に
自らが楽しむという
何かしら自画自賛と似ている
ような気もしますが
思うのですが、
自分が発する声を
一番初めに聞いているのは
自分の耳です
自分の声を自分が一番最初に
聞いているのです
安田先生の講義も
先生も自分で頷きながら
たぶん自分の発した声に
自分でうなずきながら
話しが展開しているようです
普通には話にのってくる
ということもありますが
そうではなく
自分が自分で自分に頷く
ということがあります
この講義録を読んでいても
繰り返しの言葉が多かったり
えー、とか、うん、とか
という言葉がよく出てきます
自分の言葉にうなずき
その言葉に自分が感動して
また
次の言葉が生み出されてくる
自分の心の原生林を
自分で開拓し切り開いて
いかれるようです
それこそ転法輪です
聞いている私たちの
心の闇を切り開いていかれる
そのような思いがします。