本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

言えば混乱、言わなきゃ迷う

2023-06-08 20:56:14 | 十地経

責任を持った立場に立つと

こういう問題にぶつかる

のではないでしょうか、

部下に指示を出した時

言えば自分勝手に理解し

自分の思うように

やってしまう

そうかといって

言わないなら尚更分からない

ということです

こういう

ジレンマがあると思います。

 

講義では

「言えば混乱する、

言わなきゃ迷うだけだ、

縁が切れる、黙っていれば。

黙っとれば縁が切れてしまう

しかし

言えば必ず

混乱が起きてくると。

そういうところにですね、

混乱する衆生の立場に立って

混乱を調えるという

一つに方法ですね。

放っておいたら縁が切れる

言えば必ず衆生の考えで

それを自分の考えに

当てはめて考えるに違いない

すると

誤解になってしまう。」

 

こういうことがあります。

お釈迦さまが

さとりを開かれた時

すぐには説法されずに

自受用法(じじゅゆう)

といって

自分のさとられた法を

自ら楽しんでおられるという

そういう期間があります

 

そのとき、

梵天勧請

(ぼんてんかんじょう)

といって

娑婆主梵天が七日ごとに

釈尊のもとに訪れ

説法してくれるように

頼まれたということです

 

世の中には穢れも薄く

さとられた法を理解する

人びとが必ずおられます

どうか教えを説いて欲しいと

そして、49日目に

やっと座を立ち

法を説いたということが

あります。

 

いま読み直してみると

この短い一文ですが

なにかしら

安田先生の気持ち

のようにも思うのです

多分、

自分の言葉は分からない

だろうと、

しかし、語らなかったならば

なおさら縁が切れてしまう

そういう気持ちで

話されたようにも思います

 

ある本では

大体、私は、

個人的なことですけど、

余り話をするということが

好きじゃないんですわ。

だから、

講義だからこれを長い間

続けてきましたけども、

そういうようなことで、

あちこちの講義に

引きずりまわされた

というようなことで、

疲れていたんだと思います。

 

ということを述べておられます

こういうことがあって

病気になられてたのです。

『十地経講義』も

その退院されてからの講義が

本にまとめられました。

 

人と人との関係でも

理解したつもりが

その理解が自分勝手なもので

何かのきっかけで

その理解が大きな隔たりと

なってくることもあります

分かったつもりでいるのが

一番怖いものです

ここに、人間理解の難しさ

があるように思います

 

教育の難しさも

こういうところにあるのでは

というように

話は続いていきます。

「宗教に実践は教育」

ということが先生のテーマ

でしたから

いずれのところでも

教育という問題が出てきます

 

 

 

 

コメント
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