本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

第一義諦と諸行無常

2022-02-11 20:20:44 | 住職の活動日記

黄檗山万福寺に行くと

山門に「第一義諦」という

額が掲げてあります

この額を見たとき一瞬

ドキッとしました

 

第一義諦は勝義諦ともいい

これに対する言葉は世俗諦

第一義、まず一番最初に

考えなければいけない

解決しなければいけない

問題ということです

それで、第一義

最勝真実の道理ということで

勝義諦ショウギタイとも

いいます

 

相田みつをさんの詩に

「そのうち」 があります

 

そのうち お金がたまったら

そのうち 家でも建てたら

そのうち 子供から

     手が放れたら

そのうち 仕事が

     落ちついたら

そのうち 時間のゆとりが

     できたら

そのうち … …

そのうち … …

そのうち … … と

できない理由を

くりかえしているうちに

 

結局は何もやらなかった

 

空しい人生の幕がおりて

顔の上に 淋しい墓標が立つ

 

そのうち そのうち

日が暮れる

 

いまきたこの道

かえれない

 

という、

お前はこれでいいのかと

何か迫ってくる

詩でもあります

 

第一義諦というように

まず解決しなければ

問題ですが

それこそ「そのうち」です

儲かった、損した、出世した

というような

華やかな激しい問題が

次々と目を晦ましてきます

 

仏教では「諸行無常」と

諸行は無常である

すべてのものは一時として

止まるものは何一つない

これは「是生滅法」

生じたものは必ず滅する

という理コトワリなのだから

ということです

 

これは、

生まれたものは必ず死ぬ

ということは

何となく分かっている

のですが

まあ、

今日明日ではないだろう

やがて死ぬかもしれない

でも今ではない

 

四苦の中に(生老病死)

分からないのが「生苦」です

生まれてやがて死ぬ

と考えるからです

そう考えると

人生楽ありゃ苦もあるさ

ということになります

そうではなく

死から始まる生

ある先生は「生死」では

ないんだ「死生」なんだと

いわれます

 

安田先生は

生は死に終わるのではない。

死から生が始まる。

我々はいつか死ぬのではない

いつでも死ぬという

死を裏にして生きている。

それが無常である。

ある時間がたてば、

やがて死んでいくのではない

と、仰っておられます。

 

何かしらこのようなことが

浮かんできたのですが

「諦」という

諦めるということですが

インドの言葉で「サトヤ」と

いいます

真理という意味です

お釈迦さまの最初に悟られた

内容は「四諦八正道」といい

四つの正しい真理

ということで「四諦」と

あきらめるということも

仕方なく諦めるのではなく

明らかに見る

明らかに見れば物事の

真の姿が分かり

そうすれば諦めもつく

ということでは

ないでしょうか

あきらめるということも

別の見方をすれば

物事を正しく明らかに見る

ということで

そうすれば、あきらめもつく

ということになると

思います。

 

そんなこと考えていたら

第一義諦ということと

諸行無常ということが

つながってきたのです。

 

 

 

 

コメント
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