本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

涅槃・「ニルバーナであることが人間本来の姿」

2020-06-25 20:18:33 | 十地経

苦集滅道の四聖諦のところで

「道諦は薬です」

「それは智慧の薬を与える」

ということが出てきます

やはり、苦集滅道のことを

医者の見立てとその治療方という

形で説明されています。

その智慧がニルバーナを開くと

という話が続き

「ニルバーナであるということが

人間の本来の状態なんだ」

と述べておられるのです。

 

ここの箇所がどうもわかりません

ニルバーナ・涅槃といえば

お釈迦さまが亡くなられたことを

涅槃といいます

そのことが人間の本来の姿、?

 

涅槃ということは

インドの言葉ニルバーナを音写

した言葉で、

翻訳すると、滅、寂滅、滅度

という言葉になります

解脱、離繋リゲ(煩悩を離れる)

という言葉と同じ意味です。

亡くなった時お位牌の上に

新円寂とか大円寂と書きますが

この円寂が涅槃ということです

 

ニルバーナも元々の意味は

火を吹き消すということで

人の場合は燃え盛る煩悩の火を

吹き消した

ということで

そこから、

煩悩の火を滅尽して、

さとりの智慧(菩提)を完成した

境地ということになります。

 

そこから仏教徒にとっての

究極的な実践目標となります

そういうことからすると

成れる成れないは別として

涅槃ということは

人類の本来の姿ということに

なるのでしょう。

 

よく三浦先生から聞かされたのは

「無住処涅槃」ムジュウショネハン

ということです

本来は、

迷いの世界にいるのでもなく

衆生を救うために

涅槃にも住しないし

という、定まった所を持たない

というのがその意味です。

 

そのことを実践的に捉えると

その場その場で主となる

ものそのものとなる

ということです。

ホームグランドというか

自分の居場所というか

安心できる場所

そういう決まった所を持たないで

行った先々で落ち着いていける

 

そういえば、

校長でありながら

(校長室はあるのですが)

そこに留まっておられる

ことはなく、

職員室だったり

構内を見て回ったりと

その場その場で溶け込んで

おられたようでした。

 

涅槃ということも

迷った世界から涅槃の世界と

固定的に考えると

死んでから行くのが涅槃の世界

と思いがちですが、

実践的に考えると

智慧を開くということが

涅槃ということですから

智慧が開けばどのような世界でも

そこは涅槃の世界になる

ということなのでしょう。

 

感じ取ることは出来ないのですが

智慧が開けば

それが人間本来の姿と

なるのでしょう。

 

智慧と涅槃ということを

「智慧は生ずべきもの

 涅槃は表されるもの」

といっておられます。

なかなか含蓄のある言葉です。

このことも考えるヒントになる

のではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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