本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

お釈迦さまのさとりのメソッド

2020-06-14 21:08:20 | 住職の活動日記

以前、「鍵泥棒のメソッド」

という堺雅人さん香川照之さん

広末涼子さんの映画がありました

とても面白い映画だったのと

題名の面白さから

記憶に残っていたのです。

それにちなんで

的外れですが頭に浮かんだのです

 

四聖諦(シショウタイ)ということが

お釈迦さまの最初の説法と

いわれています。

四つの正しい真理ということで

四聖諦といわれ、

苦聖諦・集聖諦・滅聖諦・道聖諦

略して、苦集滅道(クジュウメツドウ)

ともいいます。

この方法は当時のお医者様の

患者を診る方法だということです

 

患者さんが苦しいといって

お医者様の所にやってきます

どこが痛いのか苦しいのか

といろいろ尋ねます、問診です

これが苦聖諦といわれるもので

今の苦しいという状態です。

それから、

その原因はいろいろのものが

集まってこの苦しい状態を

つくり出しているのではないか

という集聖諦です

集という字は

隹フルトリに木と書きます

木の上に鳥が集まっている

という字で、

集めるということは

ただ集めるというだけでなく

集めることはそこに力を

もってくるということです。

では、

その集まった苦しみを

どのようにしてなくしたら

いいのかということが

滅聖諦ということです

その苦をなくす方法メソッドは

道聖諦という

お医者様なら薬を調合するとか

湿布薬を与えるとか

指圧をしたりと

いろいろな方法があるという

ことで道聖諦といいます。

 

この方法で

お釈迦さまは自分自身の

苦の正体を見つめられたのです

お釈迦さまの場合

最初の苦聖諦は

「迷いのこの世は

 すべてが苦である」

ということです。

私たちには

なかなか認識できませんが

お母様を早くに亡くし

感受性も強く、宗教感覚も鋭く

そういう眼から世の中を見ると

すべてが苦であると

認識されたのです。

 

その原因は

「苦の因は求めて飽くなき

 愛執である」

と、見つけられたのが

集聖諦です。

 

であれば、

「求めて飽くなき愛執を

 完全に滅したのが理想境では

 ないか」と

これが、滅聖諦です。

 

その苦滅の境に趣くには

どのようにしたらいいのか

ということで見つけられたのが

「八聖道」という

八つの正しい修行の道を実践する

ということが

道聖諦ということです。

 

八つの正しい修行の方法は

正見(ショウケン)

 正しく物事を見る

 これが八聖道の目的です

 そのためには、

正思(ショウシ)

 心の行いを正しくする

 (意業)

正語(ショウゴ)

 正しい言葉使い

 (口業)

正業(ショウゴウ)

 正しい行い

 (身業)

以上のことが身口意という三つの

行いを言っています。

次が

正命(ショウミョウ)

 命は生活ということで

 正しい生活となります

正精進(ショウショウジン)

 以上の三業とその生活を

 正しく精進する、正しい努力

 ということです

正念(ショウネン)

 念は憶念不忘ということで

 以上のことを常に心に留めて

 忘れないということ

最後が、

正定(ショウジョウ)

 正しい宗教生活

 心が散らばらないで

 常に集中できる生活

 

ということですが

見れば簡単

でも実践するとなると

何もできない

というのが事実です。

 

世の中まだ何かしら

楽しいことがあるのでは?

案外捨てたものではないと

世の中を見切ってない

そういう執着が

なかなか捨てられない

というのが今の自分の現実です

しかし、

この構造・メソッドだけは

頭にきちんと叩き込んで

おかないといけないと

思っています。

 

 

 

 

 

 

コメント
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