本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

最後の事業を起こす!!

2020-04-18 20:33:39 | 住職の活動日記

今、若い方の間では

クラウドファンディングとかで

資金を募り事業を起こす

ということが注目を集めています

やはり自分で起業するということは

やってみたいことですね。

 

この年になって何をいまさら

事業を起こすってか?

血迷ったか!

 

以前、

京都から自坊に帰り

やっとお寺の成り行きも軌道に

乗ってきたころ

師匠の三浦先生から電話

近況伺いの電話です。

 

「葬儀や法事でお寺も忙しく

何かとばたばたとしています」

すると

「呑気な話やね!

出家したら一番先にやることが

あるだろう」と

何か冷や水を浴びせられるような

一言でした。

頑張ってるね!よくやっている

という言葉をもらえると

思っていたのが

何を呑気に構えているのか

出家の意味を明らかにすることが

一番の問題だろうということです

 

仏教には、

真俗二諦(シンゾクニタイ)

ということをいいます

「諦」という字は

あきらめるとも読めます

それが仏教では真理という意味で

使うのです

諦める、ということも

ただ仕方なしに諦めるのではなく

本当は、

物事を明らかに見た、見切った

それで、よし!

ということで諦めがつくのです。

 

真俗二諦というのは

真諦と俗諦ということで

真諦とは

「勝義諦」とも「第一義諦」とも

いいます

出世間的真理ということで

第一義諦ともいうように

まず第一に考えなければならない

ことをいいます

俗諦とは世間的真理です

 

俗諦ということもとても大事で

世間の真理がないと

真諦を説明する手掛かりが

なくなってしまいます

また、

真諦がないと方向性をなくし

ただ世間の損得勘定だけになって

しまいます。

 

ということもあって

ふと思い出したのは

安田先生の言葉で

「何も世間的事業を起こすだけが

事業ではなく

自分自身を見つけるということが

一番の事業じゃないか」

という一言です。

 

お寺にいるということは

普通から見れば読経して

静かに禅を組んで瞑想する

という一面もありますが

一つの門構えを構えるというと

そこには経営という問題も

出てきます

まして、職員がいるとなると

世間的な法律の問題

コンプライアンスとか

公性も問われてくるのです

自分一人では済まない問題が

多々生じてきます。

 

片方では仏道を求めつつ

もう一方では経営という問題も

おろそかにできません

この両輪をいかに

うまくやっていくかが

これからのお寺に問われている

大きな問題です

 

では、静かに山にこもり

仏道を求めるというと

仏道が生きて働く手がかりを

なくしてしまいます

反対に、坊さんも食うためには

儲けなければとなると

本来の坊さんの意味を

なくしてしまいます。

 

お釈迦さまは

富も位も捨てて出家された

のに、

ややもすると坊さんでも

富や位を求めるために

奔走している方もおられます

それはそれなりの

意味があることでしょうし

求める方の価値観の違いです

 

先が見えてきた今

今こそ自分を探求するという

自分自身を知るという

この一大事業を起こす時では

ないかと思うのです

人間とは何か

自分とは何か、生まれた意義は

なんだか

高校生の時に起こしたような問題

ですが

やはり考えておかなければ

生まれてきたことが無駄死に

なってしまいそうです

ただ、飯食って家庭もって

仕事して死んでいくだけでは

あまりにもさみしい。

 

そんな単純なことから

これという解決は

ないかもしれませんが

何事にも不思議を感じ

求め続けていく

その道程が大事なのだと思います

 

それこそが大事業ではないかと!

 

 

 

 

 

 

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