本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「ケチ」という煩悩

2020-04-09 20:28:26 | 住職の活動日記

「ケチ」も煩悩の一つです

随煩悩が20ありますが

その中の一つに「慳」ケン、という

名前で出てきます。

 

先日のテレビで

やっと30万円という補助がある

という報道がありましたが

これが又非常に複雑で

どういう方がもらえるのか

その線引きが非常に難しいようで

コメンテイターの方が

つまり、ケチとうことですかね

とおっしゃっていました。

 

そういえば煩悩にも

「慳」というつまりケチという

煩悩があったことを思い出しました

 

もの吝(オシ)みすること。

吝嗇(リンショク)と出ています。

この慳ということも大きく分けて

二つあって

財慳と法慳という財と法に対する

財物と教法のそれぞれに

吝(やぶさか)なこと。

ということです。

 

「やぶさか」という言葉も

たまに聞きますが

ものおしみという「吝」のこと

なのです。

 

もう少し経典をみて見ると

実に詳しく分析しています。

どういうことが「慳」なのか

 

財と法とに耽着(タンチャク)して

恵捨する能わず、

秘悋(ヒリン)するを性と為し、

能く不慳を障(サ)えて鄙畜(ビチク)

するを業となす。

 

というように出てきます

難しい言葉もありますが

なんとなく分かるような?

 

「耽着」というのは、

財と法とにしがみついて

執着しているということです。

「耽」はふける、溺れる、

しがみついている。

放したくないという根性が耽着、

 

「恵捨すること能わず」

人の為に投げ出すことが出来ない

 

「秘悋するを業となす」

秘悋とは大切にしてぐっと握って

持っていて離さない。

秘は秘蔵、悋は惜しむ、

しっかり持っていて、

惜しんで離さない。

 

「能く不慳を障えて鄙畜するを」

鄙(ビ)はきたない、

鄙畜はきたなく貯えるという。

だから、

よくあの人はきたない人だ、

というのが「慳」のことです。

出すべきものを出さない、

というのがきたないといいます。

何でもけちる。

5出さなければいけないところ

3しか出さない。

これもきたないといいます。

 

難しい言葉ですが

私たちの根性を見事に

いい当てています。

出すべき時にはちゃんと出す

出し渋るのを慳というのです。

 

まして今、

緊急非常事態

明日の生活にも困っている人

そういう方には

物惜しみせずに出すべきでしょう

自分のお金でもないのですから

なんかスッキリしません

 

30万頂くにも

その手続きが複雑すぎて

申請するのも大変でしょう

もし通ったとしても

出るのは早くて7月ごろとか

それまでにつぶれてしまう人が

出てしまいそうです。

 

コロナも心配ですが

こちらの救済の方も心配です

どうぞよろしく

スピード上げて

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

コメント
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