葉を出し、花を付けて
花を開かせ、そして散っていく
私たちは咲いた花だけに
目がいきがちですが
花にとっては
目に見えないところで
たくさんのはたらきがあるのです
満開に咲いた牡丹も
もう、花びらもバラバラになり
今にも落ちてしまいそうです
よく見ると
雌しべを中心に雄しべが
取り囲んでいます
実に不思議な姿です
咲いて散って
次のハタラキを準備している
ようでもあります
ふたつめの牡丹も
開き始めました
雨が降り、日が照って
土の中から養分を吸い上げ
成長していく
ここに大きなハタラキを感じ
昔の人は
「はたらきさま」と呼んで
感謝したのでしょう
それを横文字でいうと
村上和雄先生は
「サムシング・グレート」と
呼ばれています
何かわからないけど
そこには大きなハタラキがある
そのハタラキそのものを
偉大なるハタラキと、
サムシング・グレートと
私たちが毎日おいしく頂くご飯も
胃の中で消化され
腸で吸収され
それが血となり肉となって
私たちの身体をささえている
当たり前といえば当たり前
けれどよく考えてみると
何がどうなっているのか
不思議なことだらけです
自分でやっているようですけど
いろいろな細胞や菌や酵素の
お陰でこういうハタラキが
目に見えないところで
行われているのです
ここに、今問題の
コロナが入ってくると
突然にこのハタラキは
狂ってしまいます
自分でやっているようですけど
こういう問題にぶつかると
自分がやっているとは
いえないような気がします
大きなる他のハタラキのお陰です
ありとあらゆる他のハタラキの
お陰で生かされているといっても
過言ではないように思います
生死岸頭に立つ
という言葉もあったように
思いますが
人間の生き死には
崖っぷちに立っているような
もので、いつ落ちるか分からない
そういう不安定な所にいるのが
人間の生きているという
ことではないかと
ですから、
すべてのものが生きている
ということは
ただ事ではないということです
こういう花々を見ていても
咲けば散り、散ってはまた咲く
そのハタラキたるものや
それこそ偉大なるなにものかが
あるように感じます
三度三度美味しくいただき
そして出るものが出て
日々元気でいられるということは
何ものにも増して
凄いことだと感じざるを得ません
さいわい今は
ステイ・ホームということで
静かに家にいることは
何かしら心を内に向けて
見直してみるというのも
とてもいい機会ではないかと
思います。