本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「social distance」と「不即不離」

2020-04-12 18:13:11 | 住職の活動日記

コロナウイルス対策には

専門家の方が言っておられた

「まず近づかないこと」

防ぐにはこれしかない

ということです

 

テレビとかで見ると

外国のスーパーとかでは

丸い印があってその間隔が2m

行儀よく並んで順番を待っている

日本ではまだそこまで

徹底してないようです。

 

この2メートルの距離というのが

社会的距離(social distance)

とことです

しかし、飛沫が飛ぶ

ということになるとこの距離感も

どうでしょうか

5分間話すのと一回のくしゃみと

同じ飛沫が飛ぶということです

お互いのためできるだけ

人との接触を避ける

というのが一番の方法です。

 

ところで

この距離感が大切で

付かず離れず

というものでしょうか?

あまり離れてしまうのも

関係性がなくなり

近づきすぎるのも個人的に

なりすぎて危ない面もあり

ということがあって、

 

そこで思い出すのが

「不即不離」という言葉

ひとつには

つきもせず離れもしない

もう一つは仏教用語で

さとりと迷い

相反することのようですが

実は、迷いがあるから

さとるということもある

といえます

迷いと悟り、

逆説的にいえば

迷ってるということが

分かることは

さとりがあるからです

でなければ

さとりという真実があって

それからみたら

今の状態は迷っている

ということが分かるのです。

そういう意味で

「不即不離」

ということがいえると思います。

 

お釈迦さまは

一人でいても孤ではない

孤独ではない

みんなと一緒にいても

それに流されることもない

そこに独(独立)がある

といっておられます。

 

私たちの人間関係は

好きになるといつも一緒に

という具合にべったりと

反対に、

ちょっとしたことで諍いがあると

途端にその関係性は遠いもの

心が離れてしまいます

 

近づきすぎず

また、

離れてしまうのでもなく

その微妙な関係性

その距離感が大切です。

 

今は辛抱の時です

付かず離れず

その関係性を保ちつつ

できる限り「社会的距離」を

もって過ごさなければなりません

コロナに打ち勝つには

それしかないように思います

 

コロナという厄介な存在です

生きものでもなければ

ただの物質でもない

ひとたび宿主を得ると

生物のようになり

変異して姿を変え

次から次へと飛び回って

命を奪っていきます。

 

今しばらくステイホームで

いることにしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

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