「吟味する」
とてもいい言葉です
しかし、おもしろ字で
「吟」は口に今と書き
「味」は口に未と書く字です。
これが吟味と熟語になると
物事を詳しく調べて選ぶという
意味で普通使いますが
もとは、
詩歌を吟じ、その趣を味わう
というところから
「吟味」という言葉が生まれた
ということです。
というのは
安田先生の『十地経講義』を
読んでいると
西洋哲学のカントとかヘーゲル
ショーペンハウアーとか
そういう人の考え方を少しでも
理解した方が分かりいいのでは
ないかということで、
カントを見ていたら
有名な「三批判書」ということが
出てきて、
『純粋理性批判』
『実践理性批判』
そして『判断力批判』という
その「批判」ということは
なにも、物事について厳しい意見
で、相手の弱点や欠点を
あげつらうことではなく
「純粋に吟味すること」
ということです。
「カント以前の哲学はすべて
カントに流れ込み
カント以後の哲学は
カントから流れ出る」
といわれているほど
現在に至るまで多方面に
深い影響を与えたということです
13歳で母を亡くし
身の回りのことや自分で自活する
という、苦労されたようです
同級生に勉強の面倒を見るという
ことで学費の足しにしていた
ということです
31歳のとき大学の私講師になります
が、私講師とは大学から給料が出る
のではなく、聴講生の数で
収入が決まった
それで、聴講生の関心を
満足させるような表現力豊かな
講義が求められたということで
カントの講義は
ユーモアを交え生き生きとした
学生に語りかけるような
教え方だったということです。
こういう話を聞くと
講義を聞いてみたいという
気持ちになります。
「批判とは物事を吟味すること」
といわれるように
このことはすべてのことにおいて
必要なことと思います
仏教の話でも
伝えられてきた教えを
再構築というか吟味しなおし
今という時代に
どのように伝えられるか
その事が問われていると思います
安田先生も講義のなかで
よく、
「仏教も西洋哲学という
フィルターを通して
見直さなければいけない」
と常々仰っておられました。
こういうことは
江戸時代の終わりから
明治にかけて盛んにおこなわれた
ようです
哲学用語を日本語に翻訳された
西周という方や井上哲次郎
井上円了、清沢満之という方々
他にも多くの先人方が
いらっしゃると思いますが
このころから
仏教にも大きな革命があったと
思います。
カントは1804年2月79歳で
この世を去りますが
最後の言葉が、
「これでよい(Es ist gut)」
といわれています。
今、
いろいろの言葉があふれる中
その言葉に流されることなく
「吟味していく」
ということが求められている
ように思います。