本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「誇りに思います!」

2020-03-23 20:45:07 | 漢字

最近の子供さんは上手に

コメントされ、

マイクを向けられても

「… を誇りに思います」

と答えられています。

 

が、この「誇り」という字も

いい方と悪い方の解釈があって

昔はもっぱら悪い面で使われた

ように思います。

漢字の成り立ちも、

言篇に夸(おごる)とから

できています。

意味は「大言をはいて、いばる」

ということで、「じまん」、

という意味もあります。

熟語としても

「誇大」、じまんしていばる

「誇示」、ほこりしめす

という言葉があります。

 

英語ではプライド(pride)

自尊心、ほこらしい、自慢

という意味があります

Ⅰam proud of the fact

that Ⅰwas born in this country

ということがあって

「この国に生まれたことを

 誇りに思います」

こういうことから

子どもまで「誇りに思う」

ということを言うようになった

のではないかと思います。

 

しかし、

もとの意味は悪というか

自分を戒めるような意味合いで

使ったように思うのです

「自分を誇らしげにいっては

 いけない」

というように

もっぱら自慢するという

意味で使ったように思います。

 

今、『十地経講義』でも

第四地から第五地へと歩むところ

なんですが

第四地は「焔地」(えんち)と

いって、炎ですね

燃えて明るくなるというたとえ

煩悩の薪を焼く智慧の光が

初めて生まれてくる

つまり、お不動さまの炎です

お不動さまの光背の燃える炎は

智慧の光です。

ですから、

第四地は初めて智慧が生まれた

法を分別する智慧がうまれた

ということです。

 

そこで、初めて分かったという

誇りが出てくるわけです

そうすると、

誇りに閉ざされてしまう。

分かったということで

歩みが止まってしまう

そういう難というか障りが出て

きます

そこを破って進むところに

第五地が出てくるわけです。

 

ですから、分かったという誇り

を破るのが実践なんです。

 

仏教でいう誇りとは慢という

ことと同じ意味で

誇りを破っていくことが

大事になってきます。

 

ということで、

『十地経講義』ではおもしろい

たとえを引き合いに出して

話しておられます。

ゲーテの『ファウスト』に出る

悪魔メフィストフェレスが

ファウストを誘惑し、

魂を売る約束させその召使となり

冒険をしていくという物語です

講義では、

「メフィストフェレスという悪魔

をかえって自分が抱えるわけです

から。

つまり世間の、学校の学問では

もうだめだと、

生きた人間の学問を知りたいと

こういうんで、

かえって悪魔を、.誘惑する悪魔を

友達にして迷うと。

あえて迷うんだ。

そういう大きな精神が語られとる

でしょう。

こういうことを

『十地経』は表そうと

してるんじゃないと思います。」

というように話しておられます。

 

よくは分からないのですが

煩悩とか慢という誇り

そんなものがだめだという

のではなく

そういうものも一緒に抱えて

修行するということでしょう

かといって

何でも一緒にごちゃ混ぜにして

いいというのではなく

細かい教理というのではなく

大乗仏教という大きな精神は

水も漏らさんような緻密さで

展開しているのでしょう。

そこが面白いところでもあります。

 

『十地経』ということに

接していると

その意味が解るというのではなく

経典に接していく態度というか

心構えというか

関係のない『理趣経』という

日々読むお経も

その文字がしみじみと入ってくる

分かるかというとそうではなく

経典の文字がじっくりと

読めてくるということは

何かしら面白いものです。

 

 

 

 

 

 

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