「 歪 」 という字は 「 不 」 と 「 正 」 という字の
組み合わせです。
まさしく、 『 不正 』 「 正しくない 」 という意味です。
「 正 」 という字は 「 止編 」 に 「 一 」 と書きます。
だらか 「 歪 」 という字も 「 止編 」 です。
昨年、足の側面を骨折し、治ったものの
一月間ギブスに入れた後遺症が
今ごろから出てきました。
不自由な生活のときはそれなりに不自由で
あまり感じなかったのですが、
普段どおりの生活になってくると、
足首の曲がり具合が思うようにいかない
不便さを感じています。
そこで、整骨院へ
足首もさることながら、腰の位置が
『 歪んでますよ !! 』
少し調節してもらい、 電気を当てました。
腰から足にかけて、気持ちのいい痺れが
さらに、痛いところに
ドイツ製の機械とやら、超音波を当ててもらいました。
ま~、歪んでますよ、といわれても ??
人間、生まれながらにして、
どこか歪んでいるような気がします。
生まれてきた赤ちゃんも、
右向きが好きな子は左に向けても
またすぐに右向きになってしまいます。
( 頭が変形してしまうのに )
なぜだかわかりませんが、
自分の好きな向きが自ずから定まっているようです。
話は変わりますが、
「 煩悩 」 ということも、
生まれながらにしてもってきた 「 煩悩 」 と、
生きていく中に身に付いていく 「 煩悩 」 とがあります。
◎ 「 倶生起の煩悩 」 ( くしょうき )
生まれると同時に具わっている煩悩です。
人間生まれながらにして染まっている、
といってもいいかもしれません。
それに対して、
◎ 「 分別起の煩悩 」 ( ふんべつき )
生まれてから起こす煩悩です。
煩悩といっても、とても厳密に分析しているのです。
生まれながらにして、教えるでもなく
身に付くからだの癖が、歪みにもなるでしょう。
そして、その癖がだんだんと自分勝手になって、
歪んでいるほうが身に納まるような気がします。
心の癖が煩悩でしょう。
自分勝手に自分の都合のいいように、
考え行動し、それが身に付いてきて当たり前になり
それを直すほうが悪いことのように感じてしまいます。
しかし、体もたまに修正していただいたほうが気持ちがいい。
心もたまに、静かに座ったり、集中してみるのも
心の軌道修正になるのでしょう。
心静かに手を合わせてみるのも
気持ちがいいものです。