『ほのぼのマイタウン』気まま通信

『ほのぼのマイタウン』のブログ版~見たこと、聞いたこと、伝えたいことを自由に気ままに綴ります。

エスキモーになった日本人、大島育雄さんのこと

2022-07-13 17:55:48 | 忘れえぬ人々


仕事部屋の片付けをしていたら、2009年2-3月号のほのぼのマイタウンに目が留まりました。


      


この時のインタビュー記事は「地球最北の村で猟師として暮らす」大島育雄さん。
「エスキモーになった日本人」として知られた方でした。
NHKのスペシャル番組でもドキュメンタリーとして度々取り上げられていました。


      

どうして取材できたかというと・・・グリーンランド北部の地球最北の村、シオラパルクに住む大島さんが朝日新聞社の企画のため2008年11月末に帰国したのですが、大島さんは東久留米の出身で何と私の友人と高校の同級生だったのです。

その友人から「大島君が帰ってくるので、取材して」と連絡があり、紹介してもらったのでした。

朝日新聞社主催で大島さんの猟具やシロクマの毛皮で作った防寒服などの展示、そしてトークショーもあったと記憶しています。
その数日後に現在の実家がある清瀬のお宅に伺いました。

「帰国するのに履いていく靴がなくってね。娘婿の靴を借りてきたんですよ」と笑う大島さんにすぐ親しみを感じました。
村で必要なのはアザラシやシロクマの毛皮で作った防寒靴なのですね。

若い頃から極北の地へ関心を持ち、自由に生きられるイヌイット(エスキモー)の暮らしに強く惹かれていた大島さんはシオラパルクの女性と結婚して、1男4女をもうけました。
大自然を相手に犬ぞりを駆り、氷上でセイウチと格闘して暮らす日々が(厳しいものであっても)、とても楽しく自分に合っていると語っていました。


            

この本は1989年、大島さんが42歳の時に出版されたものです。
探検家植村直己さんとともにシオラパルクの小屋でイヌイットの流儀を学び、犬ぞりの技術を習得した若い頃の体験から始まり、ユーモアあふれるタッチでエスキモーの社会に溶け込む様子が描かれています。


インタビューして、もう13年の月日が流れました。
74歳になられる大島さんはお元気でいらっしゃるだろうか?

ネットで検索してみると、「エスキモーになった日本人 最後の猟に同行」という2015年のAERAの抜粋記事が見つかりました。
これによると、大島さんから「この春が最後の猟になるだろう」と連絡があったので、朝日新聞記者がこの年の4月、北極へ飛んで猟に同行したのだそうです。

私が取材したとき、「あと5~10年は猟を続けたい」とおっしゃっていましたが、この2015年が最後になったのでしょうか?
あの時強調なさっていたのが、「自分たちは究極のエコ生活をしているが、CO2を出す欧米強国が最北端の少数民族の生活を圧迫している」ということ。
大島さんたちは次の代まで動物を確保しておくために必要最低限しか動物を捕らない。
乱獲などして獲物の数が減ると真っ先に困るのは自分たちだから、捕獲の期間や頭数を自主規制している。

しかし、動物保護を求める国際社会の声は年毎に厳しい制限を課していったようです。


今は大好きな犬ぞりでの猟はやめられ、村の長老としてエスキモーの伝統を守り、伝える立場にいらっしゃるのでしょうね。
ネット情報ですが2019年、長女のトクさんが来日し、日本科学技術館でエスキモーの伝統工芸品の製作などを披露したそうです。
おとうさんの技術がしっかりと娘さんに伝わっているのですね。
今はお孫さんも13人いると、どこかに書いてありました。

もう一度本を読み返してみたくなりました。
あの頃はSDGsという言葉もありませんでしたから。


























コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シソジュース作りの季節です | トップ | 猛暑の中のひまわり »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

忘れえぬ人々」カテゴリの最新記事