北面武士

至誠通天

雑務に追われ

2016-01-15 | 日記

一月十五日(金) 晴

今週は神宮参拝時の写真整理と、仲間の成人式の写真整理、業者へプリント依頼、送付・配布で疲労困憊。

本業も年始から多忙を極めており、プライベートな時間がほとんど持てない状態だ。 今週末も休日出勤予定・・・。

本年度の神宮参拝禊会の案内状と実施要項を横山大兄へ作成依頼しており、先日大野宮司へ確認して戴くべくドラフト版を郵送したが、未だ到着してないとの事・・・。 大野宮司から”PCメール受信不可状態なのでFAXで送信して欲しい”との事でしたが、私はFAX機器を持ち合わせておらず、会社FAXのプライベート使用は厳禁となっておりFAX送信不可状態・・・。 最終的に昔ながらの郵送となってしまった・・・。

PCメールが使用出来ないと不便な世の中になったと痛感。

来週中には神宮参拝禊会の案内状と実施要項を、各地区のまとめ役の方々へ送信予定。

 

先日、アドルフ・ヒトラーの「わが闘争」の著作権が切れたのをきっかけに、ドイツで書籍の販売が開始された。 現在では売れすぎて増刷しているとの報道あり。  ドイツ人には、記載されているユダヤ人とシリア難民が重なってしまうのではないだろうか? 頭の良いユダヤ人とシリア難民を同格に扱うのは失礼かな?  しかし、当時の欧州におけるユダヤ人の社会的地位と現在のシリア難民の暴動問題を比較すると如何なものであろうか。  

現在はユダヤ人に対する人種差別発言や悪口を言う事はタブーである。(特にアメリカ合衆国において)

第一次世界大戦敗北後のドイツ、天文学的な賠償金支払い義務、不景気・失業、精神的に鬱屈した国内において、我が物顔でドイツ経済を牛耳る大金持ちのユダヤ人達を見て、ドイツ人達は何を思ったのだろうか? 当時、自由・平等・平和というものが無かった時代であり、欧州各国に在住していたユダヤ人達は、キリスト教徒(欧州)から迫害を受け続けており、蛇蝎の如く嫌われていた。 そのユダヤ人が貧困に喘ぐドイツ国内において、ドイツ人を顎で使うような裕福な生活を送っていた。 この状況において、一般ドイツ人もヒトラーと同じ思いだったのではないだろうか。  現在、何処かに似たような状況の国があるように思えるのは私だけであろうか? 邪心多き年頃のつぶやき・・・。

第二次世界大戦後、再び敗戦したドイツは、西ドイツ・民主主義国家と東ドイツ・社会主義国家とに分断された。 現在のドイツ首相のメルケルは東ドイツ出身のおばさん。 人道的支援などという耳当たりの良い言葉でシリア難民を受け入れ、ドイツ国民に多大なる迷惑をかけ続けている。  既にトルコ移民で数多なる問題を抱えているのに、この上シリア難民を受け入れたらどうなるか理解できないのだろうか?  昨年末の難民集団による大勢のドイツ人女性に対する恥ずべく行為はごく一部であり、もっと深刻な問題が徐々に湧き出てくる。 

難民となると国家・民族のアイデンティティーがないので、精神的にひねくれてくる。 私はクウェートにおいてパレスチナ難民達と共に仕事をした事があるが、事あるごとにイスラム教絡みの些細な事で難癖をつけてきて、最終的に喧嘩となり仕事途中で帰国させられた事もある。(このおかげでイラク湾岸戦争に巻き込まれずに済んだが)  同じイスラム教徒のクウェート人はおおらかで良い人が多かった。

キリスト教徒とイスラム教徒集団の共存は不可能と言っても過言ではないので、生存地区を完全に切り分ける必要がある。  

何故キリスト教の欧州でシリア難民を受け入れるのか不思議に思っている。 世界各国から金を集めて、イスラム教国のエジプトかサウジアラビアの一部を借用して居住区を作ってシリア難民を一時収容し、シリア国家が安定した時に帰国してもらえば良いのではないか?

シリア人とはいえ所詮アラブ人なので、昔ながらの砂漠でのテント生活に戻るのもまた一興。 ベドウィン達は未だ砂漠のテント生活だし。 欧州各国に線引きされたて出来たアラブ諸国だが、現在ではシリア人も愛国の精神は持っているであろうから、いずれは帰国したいはず。  

一神教の宗教・民族問題がなくなる事はない。 明確な棲み分けと、お互い干渉・侵略せず、を行う事以外に問題回避は不可能! 

私が初めて「わが闘争」を読んだのは小学六年生の時だった。 当時は理解度も低く、自分の好きなように解釈して読んでいた覚えがあるが、空手&読書三昧の学生時代を終え、娑婆に出て自活するようになり、以後数多の本を読みながら社会経験を積んだ30代前半の時、再び「わが闘争」を購入して読んだ。  当時は海外での活動が長かったので、多角的に内容を見る事が出来たが、あとひとつ核心を理解する事が出来なかったような気がする。 この頃、近代世界史におけるユダヤ人というユダヤ教徒の重要性を理解する。

当時の時代背景と照らし合わせて読む必要がある。 決して現代の感覚で読んではいけない(ジャンケンの後出しと同じ)。  世界史を再度勉強して、歴史の表裏を理解して読むと真実が見えるので、1冊の本の内容を理解するために、関連する10冊以上の本を読まなくてはいけない。 

久しぶりに再読したいが、読破必要な書籍が10冊ある。  とりあえず、3冊目に繰り上げで読むか。

同じ本でも10代、20代、30代、40代と、読む年代によって視点と理解度が変化していく。 昔は本を熟読した後に未練を残しながら廃棄していたが、最近は廃棄せず読み直すようになってきた。 物忘れが多くなってきたからか?

それでは、また。 ごきげんよう。

 

 

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