北面武士

至誠通天

陸前高田訪問

2015-07-21 | 日記
七月十八日(土) 晴

強烈な眠気と格闘しながら、どうにか起床する事が出来た。
09:00頃に江戸の駅へ到着し、東北新幹線・一ノ関行きの切符を買おうとしたら"×"印と"立"の表示・・・。
三連休に加え、夏休みだ・・・。 バタバタしていたので失念していた・・・。
少し遅れの各駅停車の鈍行新幹線(仙台乗り換えと比べると20分遅い)の席を確保して移動。 着席 & 即爆睡! 

一ノ関駅へついたら舎弟分が迎えにきてくれて、そのまま岩手名物・冷麺を食いに行く。
舎弟分とは14年前に仙台で飲んで以来だ。 毎回の事ではあるが、久しぶりに会った気がせず、つい数日前に一緒に飲んだような感じだ。 変わったのはお互い”おっさん”になった事くらいか・・・。  
二十代前半を、栃木・小山で共に修行して遊びまくり、給料前の貧乏な生活を過ごしてきた仲だ。 当時は女の子が周りに大勢いて、東京ディズニーランドが出来たばかりだったので、なにかと楽しい日々を送る事ができた。

初めて会った時は、”こいつは生意気だから絶対いつか殴り倒してやる”とお互い思っていたのだが、元・茨城の暴走族の副ヘッドだったやつの仲介で同席となり、その後いつの間にか一緒に飲んだくれていた。   
当時の仲間達で連絡を取り合っているのは、いつの間にかこの舎弟分だけとなった・・・。

腹を満たした後、大船渡へ行く前に平泉の中尊寺へ参拝に出向く。 奥州・藤原氏へ東北復興を祈念。
中尊寺のブログは別途作成予定。

震災時に舎弟分に電話したら一発で通じたが、電池残量が少ないとの事で安全確認だけして切断。 
当時の生活状態の詳細を聞かせてもらいながら山道を走り抜け、大船渡へ行く途中に陸前高田を訪問。
震災後、秋山大兄がトラックに物資を詰め込んで行ったところで、津波の被害が甚大な町だ。
現在は、巨大なベルトコンベアーで山から被災地まで直接土砂を運び、かさ上げ工事が行われている。
被災から3年4ヶ月経過して、瓦礫はかさ上げ工事で埋められており、津波の傷跡が少しずつ消されている。


車内より。 陸前高田市内を走る巨大なベルトコンベアー。


道の駅。 ここは死者が一人も出なかったとの事で、向後も被災跡地として残されるようだ。








水圧の恐ろしさ・・・。 津波の高さは15.1mと記されてあった・・・。



奇跡の一本松。 










モニュメントとして充分な存在感がある。 海を眺めていたら目頭が熱くなってきた・・・。



左の山を削って橋のようなベルトコンベアーで土砂が運ばれる。






被害エリアが広大過ぎるので復興にはまだまだ時間が必要だと思われるが、黙々と作業を継続するしかない。


これより大船渡へ移動。


移動中。 津波の跡が痛々しい・・・。

大船渡訪問偏へ続く。










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