大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

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お江戸吉原・「飛不動」~時代変われば航空業界御用達~【吉原遊廓お膝元】

2010年11月09日 12時19分58秒 | 台東区・歴史散策
「吉原遊廓・お歯黒どぶ」へ通じるかつての茶屋町通りからほんの少し入った場所に、「飛不動」なる古刹があるのをご存知ですか。この茶屋通りは、吉原大門へと通じる土手八丁と同様、その昔には吉原通いの客が利用したメインストリートだったようです。「茶屋通り」と名付けられていたくらいだらか、さまざまな茶屋が軒を連ねていたらしいのですが、特にこの通りには吉原遊廓と張り合った「陰間茶屋」なるものが集中していたようです。陰間茶屋とは「男色」専門の茶屋のことなのですが、江戸時代には人気があったらしく、吉原遊廓にとっては商売敵だったと言われています。

こんな通りの裏手にあるのが今日のお題「飛不動さん」なのですが、開山は家康公が江戸に入府する前の1530年。開祖は本山派修験僧の正山上人といわれる方で宗派は天台宗のお寺です。







この正山上人は和歌山県熊野から奈良県吉野にいたる大峯山で修行後、諸国を巡歴し、この地竜泉で村人に宿を施してもらったある夜に見た夢の中に一筋の光と共に立ち昇る龍の姿が現れました。龍の夢はお不動様のご加護を象徴することから、上人は宿の世話をしてくれた村人達の息災延命と、自らの旅の安全を祈ってお不動様を刻みこの地に奉安しました。正式な寺号は「龍光山三高寺正寶院(りゅうこうざん さんこうじ しょうぼういん)」なのですが、なぜ飛不動尊と呼ばれるようになったのか…?

創建後いつの時代かは定かではありませんが、当寺の住職がご本尊のお不動様を担いで、あの正山上人が修業をした大峯山へ運んだことがあったのです。ご本尊がいない間、この地の人々が集まりお不動様の無事を一心に祈ったところ、お不動様が一夜にして大峯山から飛び返ってきたのです。以来、「空を飛び来て、衆生を守りたもう、お不動様」であることから「飛不動尊」と呼ばれるようになったという言い伝えが残っているのです。

お江戸の時代から病魔や災難を飛ばしてくれる「空飛ぶお不動様」として信仰されていたことがうかがわれます。お不動さまのご縁日は28日です。ご本尊のご開帳は12年ごとの酉歳に行われます。

時代が下り、当飛不動尊は「空飛ぶお不動さま」とが結びつき、航空業界に携わる人々や、空路で旅行する多くの人々が航空安全と道中安泰を願い参拝されているようです。

寺の入口である山門は、赤い幟が立っていなければ見過ごしてしまうほど目立たないものです。山門から50mほどの参道を抜けると、狭い境内とご本堂が現れます。





境内の左奥には下谷七福神の恵比寿神の祠、その傍らになにやら語り合うような仕草の羅漢様が2体置かれています。

恵比寿神祠
羅漢様

ご本堂の入口上にはお不動さまが右手に持っている剣「利剣」が額に入れられ掲げられています。この利剣は正しい仏教の智慧で、迷いや邪悪な心を断ち切りることを現すものです。





尚、飛不動尊の側にはこの地「竜泉」に住んだあの明治の女流小説家「樋口一葉」の足跡を展示する「一葉記念館」があります。また彼女の代表作「たけくらべ」に登場する主人公「美登利」の家のモデル「大黒屋の寮跡」など一葉ファンには是非訪れていただきたい場所が点在しています。こんな一葉ゆかりの地の訪問のついでに、飛不動尊の参拝もお忘れなく!

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1 コメント

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Unknown (菅原でございます)
2010-11-09 19:47:06
早速の飛不動ありがとうございますm(_ _)m
私も日々勉強し精進致しますです
今は大川を行ったり来たりの日々が続いています
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