尾上町をゆく(56) 浜ノ宮神社の伝承(1) もとは「十五社」か?
菅原道真は、藤原氏との権力闘争に敗れ、大宰府に追いやらます。
大宰府へ罪人として護送されます。
各地に残る道真の逸話は、多く語られています。以下は、浜ノ宮天神社の伝わる伝承です。
浜ノ宮神社は「十五社」(安田)から現在の場所へ?
浜ノ宮天神社(加古川市尾上町口里)は、「・・・貞観10年(868)、十五社(加古川市尾上町安田)の神々を勧請(霊を迎えてまつること)し、道真が延喜元年(901)、途中この神社に寄った縁で道真を神として奉った・・・」といいます。
また、別の説では「大宰府への途中、播磨灘で嵐にあい、「安田の十五社」、尾上神かもしれません社に海上の静穏を祈りました。
その縁で道真の死後、傍らに道真を祭り、文元元年(1444)口里に新しい神社を建て奉り、その後、神社の名も「浜ノ宮天神社」としたというのです。
「ともに、現在の浜ノ宮天神社は、安田の十五社が元の場所であり、十五社を上ノ宮と呼んでいる」ことに注目します。
十五社は、明姫幹線と別府川の交差点からすぐ北の葬儀場のすぐ西の森がその場所です。
現在でも、「十五社」は、浜ノ宮天神社の境外神社です。
浜ノ宮天神社は、安田から口里へ移動したのでしょうか。
十五社辺りは、加古川の旧河川跡の近くです。
別府川が流れています。移転の理由は水害であったのかもしれません。
伝承は何らかの歴史を語っているのかもしれません。
*写真:安田の「十五神社大神」の神額
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