ひろかずのブログ・3

81歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

石の宝殿の謎(15) 東播磨はボーダー(境界)の地域

2021-12-17 08:47:57 | 石の宝殿の謎

      石の宝殿の謎(1

     東播磨はボーダー(境界)の地域

 今回の話題は、話題が少し横道にそれますが、後の「石の宝殿の謎」の話のつごうで「石の宝殿の謎」の続きとしてお読みください。

 加古川・高砂・稲美町・播磨町の位置を考えています。

 律令制度下で、直接に都の勢力が及ぶ範囲を畿内といいました。

 大和(奈良)・河内・和泉・山城(京都)・摂津が機内です。

 播磨は摂津に接していますが、畿内ではありません。東播磨は、畿内との接点の位置にありました。

 この時代、東播磨は畿内の勢力下にあったのですが、都からは周辺部でした。

 この位置にある地域は、常に緊張した政治的状況にさらされていました。

 自らを維持する(守る)ためには、湧き上がるエネルギーを必要としました。

 東播磨は、古代より都の勢力と結びつきの強め、一方吉備(岡山)・出雲の勢力と対峙する場所にありました。

 これは古代のことだけではありません。

 戦国時代は、毛利(西軍)と信長(東軍)の国盗りの戦場となりました。

 中央の豪族としても、辺境部を守り、攻撃する最前線の位置にあり、東播磨との結びつきを強めました。

 東播磨は、いつも、そんな役割を演じてきました。

 そして、そこには東西を分けるの加古川の流れがあります。

 このことを頭の片隅に置いて、この後の「石の宝殿の謎」をお読みください。

  *写真:古代日本を東西に分けた加古川

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石の宝殿の謎(14) 「石... | トップ | 石の宝殿の謎(16) 石の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

石の宝殿の謎」カテゴリの最新記事