ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

 野口町をゆく(64) 野口と戦争(7) 水足から野口への道

2022-08-01 08:31:48 | 加古川市歴史探訪・野口町編

               野口町をゆく(64) 野口と戦争(7) 水足から野口への道

 図は、大正12年地図です。

 今回の話題の道は、地元の人でなければ少し分かりにくい道のため、太く赤く塗りつぶしています。

 水足と野口とを結ぶ真っ直ぐな細い道です。

 水足は野口村の北端にあり、何かと不便でした。

 そのため、野口村の初代村長・米谷十三郎(よねたにじゅうざぶろう)の尽力で、明治時代の終わりのころ、この道は完成しました。

 しかし、現在この道は、加古川バイパスをこえて播磨化成の手前で一端途切れています。

 そして、播磨化成の北の道を越えて、米谷家(前号の歌碑のある家)まで続いています。 

 これは、昭和13年に陸軍高射砲第3連隊が、現在の播磨化成の場所に設置されたためでした。

 高射砲隊の兵舎により道は、分断されました。

 当時は、軍の方針に反対できる時代ではありません。

 以後、通学・仕事などで野口村へ行く時は、兵舎の西側を迂回することになり、ずいぶん不便になったといいます。

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