野口町をゆく(81) 大庫源次郎物語(8) 京都へ(2)
明冶45年2月。別れの朝がきました。源次郎は大きな鳥打帽をかぶり、母が縫い上げた着物三枚と手ぬぐい、下着などわずかの品を入れた柳行李を持ち、京都まで父の知人と馬車ででかけました。
とめ(母)は、目に涙をいっぱいためて、くどくどと源次郎に語りかけるのでした。
源次郎は、見知らぬ都会で見習奉公する不安に身震いをおぼえました。
「行ってくるで、おとう、おかぁん。みんな達者でなあ・・・」
「のう、源次郎よ。病気だけはするなよのう」
母の声は涙にとぎれ、手をふる弟妹の姿も、土煙の道の彼方へ消えゆきました。
加古川駅から、はじめて汽車の旅でした。
故郷に別れを告げた寂しさより、源次郎は汽車に興味を持ちました。
窓の外の田や畑、海浜・・・あっという間に通り過ぎます。源次郎は汽車のスピードに、ただただ驚きました。
京都まで四時間。早い冬の空は、たそがせまっていました。
「京都、京都オー」
源次郎は、まず人の多いのに驚きました。
「ほんまに、こんな町で暮して行けるんやろうか」とだんだん心細くなってきました。
三条大橋を渡った人力車は、狭い道を曲って、中川鉄工所と看板の上がった薄暗い板塀の前で止まりました。
鉄工所で見習奉公
鉄工所の主人は、目付きは鋭いが、なかなかの人情家のようです。
当時の京都での機械類のお得意先は、何といっても日本一の高級織物メーカーである西陣でした。
友禅染めの染色機械や、織機の部品注文や修理がほとんどの仕事で、京都には機械を修理、製造する「仕上げ屋」が多くありました。
*挿絵:京都駅
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