ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

野口町をゆく(81) 大庫源次郎物語(8) 京都へ(2)

2022-08-23 08:57:57 | 加古川市歴史探訪・野口町編

 

       野口町をゆく(81) 大庫源次郎物語(8) 京都へ(2)
 明冶452月。別れの朝がきました。源次郎は大きな鳥打帽をかぶり、母が縫い上げた着物三枚と手ぬぐい、下着などわずかの品を入れた柳行李を持ち、京都まで父の知人と馬車ででかけました。
 とめ(母)は、目に涙をいっぱいためて、くどくどと源次郎に語りかけるのでした。
 源次郎は、見知らぬ都会で見習奉公する不安に身震いをおぼえました。
 「行ってくるで、おとう、おかぁん。みんな達者でなあ・・

 「のう、源次郎よ。病気だけはするなよのう」
 母の声は涙にとぎれ、手をふる弟妹の姿も、土煙の道の彼方へ消えきました。
 加古川駅から、はじめて汽車の旅でした。
 故郷に別れを告げた寂しさより、源次郎は汽車に興味を持ちました。
 窓の外の田や畑、海浜・・・あっという間に通り過ぎます。源次郎は汽車のスピードに、ただただ驚きました。
 京都まで四時間。早い冬の空は、たそがせまっていました。
 「京都、京都オー」
 源次郎は、まず人の多いのに驚きました。
 ほんまに、こんな町で暮して行けるんやろうかだんだん心細くなってきました。
 三条大橋を渡った人力車は、狭い道を曲って、中川鉄工所と看板の上がった薄暗い板塀の前で止まりました。


      鉄工所で見習奉公

鉄工所の主人は、目付きは鋭いが、なかなかの人情家のようです。

当時の京都での機械類のお得意先は、何といっても日本一の高級織物メーカーである西陣でした。
 友禅染めの染色機械や、織機の部品注文や修理がほとんどの仕事で、京都には機械を修理、製造する「仕上げ屋」が多くありました。

*挿絵:京都駅
 





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