野口町をゆく(82) 大庫源次郎物語(9) ふいご吹きと使い走り
源次郎は、頬を風船玉のようにふくらませ、顔をまっかにしながら、毎日フウフウふいごを吹きました。
見習修業は、厳しいものでした。鉄工所へ入ったというのに、仕事らしい仕事は、何もさせてもらえません。
朝、暗いうちに起きると、まず工場内の掃除。油でよごれ、鉄片の散った工場の掃除は難しいものでした。
それがすむと、ふいご吹き。
上手に火を起さないと兄弟子たちから、いやというほど怒鳴られました。当時の職人修業は、一人前になるのに十年と言われていました。
一年余りは、ふいご吹きと使い走りだけで過ぎてしまいました。
丁稚(でっち)車と呼ばれる荷車を曳いて、遠い所まで得意先をたずねたが、見当らないこともしばしばでした。
思案に暮れて帰ってくると「もう一ペん行って捜してこい」と怒鳴られるのでした。
「おかぁん」と呼んで、大声で泣いてしまいたいこともしばしばでした。
この年(明治45年)の7月27日、京の町はむし暑い夏でした。
明冶天皇御不例の発表が宮内省から行われ、30日崩御。明治は終わりました。
そして、9月13日、大葬の夜、乃木将軍夫妻が壮烈な殉死をとげました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます