ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

野口町をゆく(80) 大庫源次郎物語(7) 京都へ・・・

2022-08-22 07:31:56 | 加古川市歴史探訪・野口町編

   

   野口町をゆく(80) 大庫源次郎物語(7) 京都へ・・・

 源次郎は、生まれつき器用な子でした。
 貧乏な百姓の二男坊がに、おもちゃなんて買ってもらえません。
 木でも石でもいい、何か持っているうちに、遊ぶものを作っているという子でした。
 「源ちゃんは、大工になったらええんや」友達は口々にいうのでした。
 源次郎も「そうやな、大工もええなあ。それとも左官かなあ」と思ってみました。
  父の知り合いに相談しました
 「これから職人になるのやったら西洋鍛冶屋になったらええ・・・」「西洋鍛冶屋」は、聞きなれない言葉でした。
 源次郎の探究欲がむらむらと湧いてきて、その名のハイカラな響きも気に入りました。
 「おっちゃん、西洋鍛冶屋ってどんな仕事やねん」
 「はあて、わしにもくわしいことは、ようわからんけど、うちの嫁はんの弟が京都で機械の仕上げ屋をやっとる。西洋鍛冶屋いうたら機械を作ったり、修理したりするんや・・・」
 近ごろこの播州平野の海岸よりに、あちこち工場ができて、大きな煙突が人の目を驚かせていました。その中にあるまだ見たこともない機械を作るというのでした
 「おとう。わしゃ西洋鍛冶屋になる。やらしてくれや」

 源次郎は立ち上がって、大きな声で父に向って叫ぶのでした。
 「そやけど、そんな仕事は高砂にも、加古川にもありゃせんが。そんなら京都か大阪へ行かなならんが・・・」
 母・とめはこの話を聞いて頭から反対した。
 「源次郎を京へやるちゅうのは、とんでもないことや。そんな遠い所へ行ってしまったら、もう会えんやないか」
 源次郎には、母の心配も通用しません。母を説き伏せて京都へ行くことに決めてしまいました。
 「源次郎や、京は底冷えするちゅから、身体だけは気をつけや」と、とめは、出発の日が迫ると毎日のように繰り返すのでした。



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