野口町をゆく(80) 大庫源次郎物語(7) 京都へ・・・
源次郎は、生まれつき器用な子でした。
貧乏な百姓の二男坊がに、おもちゃなんて買ってもらえません。
木でも石でもいい、何か持っているうちに、遊ぶものを作っているという子でした。
「源ちゃんは、大工になったらええんや」と友達は口々にいうのでした。
源次郎も「そうやな、大工もええなあ。それとも左官かなあ」と思ってみました。
父の知り合いに相談しました。
「これから職人になるのやったら西洋鍛冶屋になったらええ・・・」「西洋鍛冶屋」は、聞きなれない言葉でした。
源次郎の探究欲がむらむらと湧いてきて、その名のハイカラな響きも気に入りました。
「おっちゃん、西洋鍛冶屋ってどんな仕事やねん」
「はあて、わしにもくわしいことは、ようわからんけど、うちの嫁はんの弟が京都で機械の仕上げ屋をやっとる。西洋鍛冶屋というたら機械を作ったり、修理したりするんや・・・」
近ごろこの播州平野の海岸よりに、あちこち工場ができて、大きな煙突が人の目を驚かせていました。その中にあるまだ見たこともない機械を作るというのでした。
「おとう。わしゃ西洋鍛冶屋になる。やらしてくれや」
源次郎は立ち上がって、大きな声で父に向って叫ぶのでした。
「そやけど、そんな仕事は高砂にも、加古川にもありゃせんが。そんなら京都か大阪へ行かなならんが・・・」
母・とめはこの話を聞いて頭から反対した。
「源次郎を京へやるちゅうのは、とんでもないことや。そんな遠い所へ行ってしまったら、もう会えんやないか」
源次郎には、母の心配も通用しません。母を説き伏せて京都へ行くことに決めてしまいました。
「源次郎や、京は底冷えするちゅから、身体だけは気をつけや」と、とめは、出発の日が迫ると毎日のように繰り返すのでした。
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