志方町をゆく(175) 薬師三尊像(西志方原)
仏性寺(西志方原)の薬師如来坐像紹介しましょう。
仏性寺は、「もと藤池あり、三木別所氏の支城があり天正の頃、兵火に焼失してし、寛保二年(1742)に現在の位置に再興された」と伝えられています。
写真は、仏性寺の本尊として祀られているのは薬師如来坐像とその脇侍です。
仏性寺は、寛保二年に臨済宗の名僧である盤珪(ばんけい)禅師によって再興され、現在は臨済宗(禅宗)の寺院となっています。
*高僧:盤珪については「盤珪(寺林俊)」(神戸新聞総合出版センター)をご覧ください。
これらの像を祀る本堂も小さく、かつて『加古川市史』の文化財編で一部が紹介されたことを除けば、近年まであまり注目されることはなかった寺であり仏像でした。
平成13年(2001)に本堂が改修されました。
これらの仏様は、その時あらためて注目されるようになりました。
伏せ目の穏やかな顔立ち、彫の浅いしわの表現のために厚みが薄く感じられる体部、細かい螺髪(らほつ)などから平安時代の後期(11世紀後半)の如来像であることがわかりました。
また、脇侍の日光・月光菩薩は、修理により像容を損ねていますが、これらの仏様も平安時代後期の菩薩形立像の特徴を備えた優れた仏像です。
平安時代の三尊像が現在にまで伝わる貴重な仏像です。
これらの像から、天台系の規模の大きな寺院を想起させるもので、この地域の平安時代の仏教を考える上でたいへん興味深い仏像でとなっています。
なお、造内には台座裏に寛文10年(1670)の銘がある像高31.55センチの薬師如来の小像が納められています。
*『志方郷(第37号)』・『仏と神の美術‐中世いなみ野の文化財』(加古川総合文化センター)参照
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