神野町をゆく(78) たごり地蔵
県道八幡・別府線の石守のバス停から東へ200メートルばかり行くと、田んぼの中に小さな公園があります。
そこに3体の石仏が並んでいます。
入り口から一番奥(東)の石仏は「立石地蔵」(写真)ですが、地元では、もっぱら「たごり地蔵」と呼んでいます。
南北朝時代の石仏です。
それにしても、「たごり」とは、聞きなれない言葉です。
「たごり」は、もともと動詞の「たごる」からきており、「咳をする」という意味です。てっきり、この地方の方言かと思っていたのですが、辞書には、次のようにあります。
吐る(たぐる・・・①口から吐く。もどす。 ②咳をする。また、こみあげる。(『大辞林』小学館)
「たごり」は「たごる」が変化した言葉です。
現在では医学が発達し、栄養状態もよくなりましたが、昔はちょっとした病が命にかかわりました。
そうした中で、野の仏に願をかけると病気がなおると言う信仰が生まれたのでしょう。
「たごり地蔵」のおかげで病が癒えると、はったい粉を持ってお礼参りをしたといいます。
地元の郷土史家の石見完次氏は、「この地は、昔の望理里(まがりのさと・主に現在の八幡町・神野町)と北条郷(大野付近より南の地域)の境、つまり関にあたる場所にあり、関が咳に通じるところから、たごり地蔵と呼ばれるようになったのかもしれない」と想像されています。
「たごり地蔵」は「立石地蔵」であり、今の場所より少し東の「立石」という田にあったようです。
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