神野町をゆく(76) 庚申信仰(こうじんしんこう)
県道八幡・別府線の福沢の交差点の北東隅に、写真のようなユーモラスの三猿が 「青面金剛」の前にありました。
「ありました」と書いたのは、2007年10月に来て「三匹のサル(見ざる・聞かざる・言わざる)」の写真を撮ったことを覚えています。先日、久しぶりでここへ行ってみました。
サルの像はなく、ピカピカの御影石の「正面金剛像」の石碑に代わっていました。
この時、次のような文を書いています。再掲しておきます。
県道八幡・別府線の福沢の交差点の北東隅に三匹サルの像を見つけました。これは 旧福沢新村(現:神野町石守)で、庚申信仰がおこなわれていたことを物語っています。
江戸時代、ずいぶん盛んであった庚申信仰も現在ではすっかり姿を消しました。
庚申信仰は、平安時代に中国から日本に伝わり、一般民衆の信仰になったのは、室町時代のことです。
庚申の夜、(60日に一回)、人体に住むというサンシチユウと言う虫が、人の寝ている間に天に昇り、天上の神にその人の罪を告げに行くといいます。
そのため、庚申の夜は寝ずに、当番の家に集まり、庚申像をおがんだり、村の庚申さんにお参りに行くという行事です。
そのとき、多くの場合「青面金剛像」を拝みました。新しくは三猿も拝みました。
いつしか、この行事は人々が集まって、酒を酌み交わすというレクレーションも兼ねた楽しい行事に代わっていきました。
庚申の日に夫婦が交わって子どもができると、その子は盗賊になるともいい、石川五右衛門は、その例であるともいわれます。
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