ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

神野町をゆく(75) 民話:はいどらの観音さん

2022-04-25 08:55:43 | 加古川市歴史探訪・神野町編

     神野町をゆく(75) 民話:はいどらの観音さん 

 石守村に、こんな話がつたわっています。

 ・・・・母里村の野寺(稲美町)の観音さんを「はいどら観音」と呼んでいます。

 昔、奈良に都があった頃のことです。神野の石守に法雲寺にというお寺がありました。

 この寺は焼け落ち、本尊の観音像は、焼け残った堂に祀つられていました。お寺は荒れ放題。

 ある夜、二塚村の稲根神社の神があらわれ、「野寺へお移しするように」とのお告げがあっりました。

 村長(むらおさ)は、観音さんを「はいどら」に入れて野寺へ移すことにしました。

 ところが、少し行った畠の道で、観音さんを運んでいた男は、キリキリと腹がこわり、道端に座り込んでしまいました。

 村長は困りはて、「観音さん・・窮屈ですけど、どうぞ辛抱しておくんなはれ・・」と一心にお願いしました。

 すると、男たちはフッと立ち上がり、元気に観音さんを背負い歩き出しました。

 二人は、念仏を唱えなながら、一里あまりの野寺まで歩き続けました。

 休むごとに、「はいどら」の中を覗き込み、「観音さん・・すんまへん、もうすくだッせ・・」といって歩きました。無事に野寺へ着くことができました。



 野寺の観音堂では、鬼追いの行事がおこなわれていますが、その日は石守の村役が顔を出さないことには、鬼追いの儀式は始まらなかったと言います。

 *『ふるさとの民話』(加古川青年会議所)参照

 *写真:高薗寺の観音堂の本尊(十一面千手観世音菩薩立像)。「はいどらの観音」であると伝えられている。

 

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