神野町をゆく(75) 民話:はいどらの観音さん
石守村に、こんな話がつたわっています。
・・・・母里村の野寺(稲美町)の観音さんを「はいどら観音」と呼んでいます。
昔、奈良に都があった頃のことです。神野の石守に法雲寺にというお寺がありました。
この寺は焼け落ち、本尊の観音像は、焼け残った堂に祀つられていました。お寺は荒れ放題。
ある夜、二塚村の稲根神社の神があらわれ、「野寺へお移しするように」とのお告げがあっりました。
村長(むらおさ)は、観音さんを「はいどら」に入れて野寺へ移すことにしました。
ところが、少し行った畠の道で、観音さんを運んでいた男は、キリキリと腹がこわり、道端に座り込んでしまいました。
村長は困りはて、「観音さん・・窮屈ですけど、どうぞ辛抱しておくんなはれ・・」と一心にお願いしました。
すると、男たちはフッと立ち上がり、元気に観音さんを背負い歩き出しました。
二人は、念仏を唱えなながら、一里あまりの野寺まで歩き続けました。
休むごとに、「はいどら」の中を覗き込み、「観音さん・・すんまへん、もうすくだッせ・・」といって歩きました。無事に野寺へ着くことができました。
野寺の観音堂では、鬼追いの行事がおこなわれていますが、その日は石守の村役が顔を出さないことには、鬼追いの儀式は始まらなかったと言います。
*『ふるさとの民話』(加古川青年会議所)参照
*写真:高薗寺の観音堂の本尊(十一面千手観世音菩薩立像)。「はいどらの観音」であると伝えられている。
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