ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

尾上町をゆく(32) 今福(21) 永田耕衣(2) 「春の野」のよう・今福(『火の記憶』より)

2023-10-20 04:49:09 | 加古川市尾上町探訪

   

       尾上町をゆく(32) 今福(21) 永田耕衣(2) 

              「春の野」のよう・今福(『火の記憶』より)

 前回の続きです。もう少し明治~大正期の今福を紹介させて下さい。

 ・・・

 耕衣は子供のころの今福の風景を『火の記憶』で、次のようにも語っています。

 耕衣、81才の文章です。



 「・・・私の生家は、印南の只中に存在する50戸ばかりの寒村の、はしっぽにあった。

 門先からは、いつも鶴林寺の森と塔が眺められた。

 二千メートルも南へ行けば瀬戸内海の浜辺に出られるのだが、少年時代もその海に親しむこともなかった。

 山は遠くただダダっ広い田圃と畦道が遊び場であった。

 わずかに荷車の通ることのできる程度の農道が幹線道路で、その他は各農家の所有の田を、お互いに区切りあった畦ばかり。

 そのアゼに、春はレンゲやタンポポが無数に咲いた。

 ことに田植前までの田圃は、たいていレンゲを茂らせていた。

 まったくの「春の野」といえる豪華な夢の世界であった。

 村童たちも夢のように、村を離れて、ソコら中を自由に駆け巡った。

 そうした「野遊び」に「孤独感」はなかった。

 両親をも忘却しきって、さながら舞い遊んだ。

 遊び暮らした。

 一切の「世苦」等は身に覚えぬ別天地であった。

 *写真:耕衣の生家(明治43頃建てかえられた生家。この生家も現在建て替えられています)

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