尾上町をゆく(32) 今福(21) 永田耕衣(2)
「春の野」のよう・今福(『火の記憶』より)
前回の続きです。もう少し明治~大正期の今福を紹介させて下さい。
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耕衣は子供のころの今福の風景を『火の記憶』で、次のようにも語っています。
耕衣、81才の文章です。
「・・・私の生家は、印南の只中に存在する50戸ばかりの寒村の、はしっぽにあった。
門先からは、いつも鶴林寺の森と塔が眺められた。
二千メートルも南へ行けば瀬戸内海の浜辺に出られるのだが、少年時代もその海に親しむこともなかった。
山は遠くただダダっ広い田圃と畦道が遊び場であった。
わずかに荷車の通ることのできる程度の農道が幹線道路で、その他は各農家の所有の田を、お互いに区切りあった畦ばかり。
そのアゼに、春はレンゲやタンポポが無数に咲いた。
ことに田植前までの田圃は、たいていレンゲを茂らせていた。
まったくの「春の野」といえる豪華な夢の世界であった。
村童たちも夢のように、村を離れて、ソコら中を自由に駆け巡った。
そうした「野遊び」に「孤独感」はなかった。
両親をも忘却しきって、さながら舞い遊んだ。
遊び暮らした。
一切の「世苦」等は身に覚えぬ別天地であった。
*写真:耕衣の生家(明治43頃建てかえられた生家。この生家も現在建て替えられています)